辛勝(富士チャレンジ200無事完走)

 毎年恒例の怒涛の3連休が終わろうとしている。10/8(土)富士チャレを皮切りに2泊3日のバンド合宿、それが終わると別のバンドの練習をこなして帰宅、さすがにくたびれてさっさと寝たいところだが、その前にブログを書き上げておかなければならない。

 10/8、富士チャレンジ200のソロ200kmに出走、結果は無事に完走し目標だった6時間切りをかろうじて達成した。

 朝4時起床、例によって睡眠時間は5時間弱と言ったところだが最近はこの位が当たり前になっているので睡眠不足も余りプレッシャーにならなくなった。
 車を飛ばして富士スピードウェイに向かう。6時前に現地着、かなり余裕のある時間に到着できた。天気は心配ないが気温の低さが気になっていたものの、思った程寒くなくこれなら半袖レーパンで問題なく走れそうだ。

 受付を済ませ、バイクに計測チップを取り付け試走のためにピットロードへ向かう。選手もまばらなピットロードは嵐の前の静けさと言ったところか。
 試走開始、サイクルコンピューターのスピード表示が出ない。おかしいと思ったら決戦用ホイールにセンサーマグネットが付いていなかった。1周で切り上げて車に戻りマグネットを装着、スピード計測ができるようになった。

 予報では昼間はしっかり晴れ間が出そうなのでボトルは4本態勢3L弱を積んだ。補給食は薄皮ミニパンを10個、背中のポケットに入れた。

 8:30過ぎ、スタート地点に入る。既に多くのライダーが集結しており、先頭から随分後ろに並ぶことになった。主催者やゲストの挨拶も終わりいよいよスタートのカウントダウンが始まる。気合を入れてペダルにクリートを嵌める。
 9:00スタート、30秒ほど遅れて走り始める。いよいよ勝負開始だ。今年の目標は6時間切り、ノンストップで44周回を走り切る計画で目標スピードを34km/h(ラップタイム8分)で5時間54分でフィニッシュする目論見だ。
 最初はパレードランの様に集団で走るのでスピードはあまり上がらない。はやる気持ちを抑えながらとりあえず1周を走り切り、ここからいよいよ本腰を入れて走り始める。体調は上々、天候やバイクのコンディションも申し分なくこれほどの好条件が揃ったのは久し振りだ。2周目のラップタイムは7分40秒ほど、それ程追い込んでいるわけではないのにこのタイムが出たのは気持ち的にかなりの余裕ができた。序盤はおおむねこの位のタイムで周回を重ねて行った。
 10周を過ぎたところで貯金が2分少々、ホームストレートでは列車に乗れないこともしばしばだが、それでも7分台後半のラップを刻み続けられているのはいい感じだ。あまり無理をせずこのペースを守って走る。15周あたりで私の走っている直ぐ近くにいつも竹谷賢二さんの牽く集団がいることに気が付いた。同じペースで走っているなら、この列車に乗せてもらおうと車列の後ろに付いた。竹谷さんの牽くペースは速過ぎず遅過ぎず私のペースにぴったりで非常に付いて行き易い。恐らく富士チャレに出始めて初めてかも知れないが、特定の列車に周回を通して乗り続けることができた。竹谷トレインのラップは測ったように7分40秒を重ねていく。少しずつではあるが毎周回確実に貯金が増やせていけるのがかなり心強い。

 1周回での竹谷さんのペースを真似てみると頑張り所は3か所、まず第1コーナー後の下り、次にヘアピンカーブ前の登り、そしてダンロップコーナー直後の登りである。ここでトレインに遅れを取らなければ1周回まるまる集団に居続けることができる。逆にホームストレートはそれ程速くないのでそれ程苦も無く付いて行ける。これはかなり勉強になった。

 竹谷トレインに乗り続けて24周回を過ぎ、貯金は6分近くまで積み上がった。この調子ならもしかしたら5時間40分台も行けるかも…、と期待が膨らむ。
 竹谷トレインには途中乗車も多く途中下車も多い。ふとしたタイミングで私の前で列車が切れてしまい気が付いたら離されていた。ちょうどヘアピンカーブに入る前の登りだったので、追い付けそうで追い付けない。そしてダンロップコーナーで運悪く団子状態の中に入り込んでしまいペースダウンを余儀なくされ大きく離されてしまった。

 ここから形勢が一気にひっくり返ってしまった。ペースメーカーがいなくなって再びマイペースで走り始めたのだが、ラップが8分台に乗ってしまった。半分を超えて少しずつ疲労も出て来たのか、ラップタイムは落ちる一方、8分30秒まで来てしまった。折角の貯金を食い潰し始め気持ち的に焦りが出始める。竹谷トレインを見送り、100kmカテゴリーのライダー達が競技を終了してコース上がかなり空き始めたのでちょうど良いトレインがなかなか来ない。ホームストレートも気が付いたら私が機関車になっていることもしばしばだ。30周回あたりでホームストレートの向かい風がきつくなり始め列車に乗れないことがかなりのタイムロスになってきた。ラップが8分後半になり、前半の貯金がどんどん失われていく。このペースだと6時間切りはかなり危うくなってきた。
 35周回で貯金は2分、6時間切りまで7分のマージンしかなくなってきた。現状のラップタイムでは6時間切れるか切れないかの瀬戸際まで来てしまった。気持ちは焦るがペースが上がらない。周回毎に30秒以上を失っていく。ラップが大きく落ちてしまった原因の一つはヘアピンコーナー前の登りで大きく失速してしまうこと、毎回頑張ろうとしているのだが何だか頑張り切れない。ここを列車に乗って通過するのとそうでないのとではかなりタイム差がつくことが身に沁みて分かった。

 40周を過ぎて遂に貯金を食い潰し、6時間までの計画マージン6分までも失い始めた。脚が痛いわけではないのに何故かペースを上げ切れない。やはり精神的な弱さで追い込めないのか、またしても私の弱点が露呈してしまった。この頃になって6時間切りに失敗した時の言い訳を考え始めていた。そんな暇があったら速く走れ、馬鹿!
 6時間を切れるか切れないかではレース後の心境に雲泥の差があることは明白だ。もしクリアできなければ当分は悔恨の情に苛まれ続けるに違いない。とにかく1秒でもいいから6時間を切ってゴールしようとこれ以上のラップの悪化を食い止めるべく踏ん張る。
 最終周回44周目まで瀬戸際の勝負が続いた割には追い込み切れていないことは自覚していたが、もうここまで来てそれを改善する策は持ち合わせていなかった。

 44周目の最終ホームストレートを走り抜けフィニッシュ、電光掲示板の時計では1分の余裕を残して辛うじて6時間を切ったことは確認できた。そのままもう1周、クールダウンで走った。走りながら何とか6時間切りができたことの安堵感を噛み締めつつも、去年からの短縮幅が予想以上に小さかったことの落胆は少なからずあった。(去年は終始土砂降りの中を6時間1分46秒でフィニッシュしたことを考えれば、今年のこのベストコンディションの中にあっては大幅更新できて当たり前という思いが強く、密かに5時間40分台はいけるんじゃないかと思っていた)

 クールダウンの1周回を走った後、コースを離れて車に戻り帰り支度。脚に大した疲労感はないのが悔しさを助長した。携帯電話でリザルトの速報サイトで完走を確認し、結果は5時間58分58秒だった。まさにぎりぎりの辛勝である。完走Tシャツを受け取り、富士スピードウェイを後にした。

 そのまま200kmを車で移動して、埼玉と群馬の県境の神流湖傍のスタジオペンションに入りバンド合宿に合流、夜中まで練習して宴会開始。悔しさや落胆は確かにあるけれどでもやはり6時間切りを公言して達成できたことは素直に嬉しい、ビールが旨くてしっかり呑んだ。

 10/9朝、目覚めて起き上がった時、脚には大した疲労感はなかった。やはりそれが悔しい。ブルベでは走り終えた後にそれなりに疲労感があることはしばしばだし、特にPBPでは1000km走った後に平地巡航35km/hで1時間近く単独で走ることができたしゴール後は未だかつて経験したことが無い程の疲労の極みを経験した。実際に自分がそこまでの疲労感を経験しているが故に、今回そこまで追い込めていなかったことへの反省は大きい。つまるところ「気持ちが足りない」ということである。
 こ〜ぢ倶楽部でこ〜ぢ先生からついこの間の峠3本でさんざん言われた「(前走者から)50cm離されたら全てが終わる。死ぬ気で喰らい付け!」の意味が今回心底理解できた。6時間の間ずっと頑張り続けることはできないが、ここぞという場面で頑張り所がある。それは一つはトレインに乗るためにトレインの最終走者に飛びつくことだ。これができれば随分と違う。来年に向けての課題がはっきり認識できたことで今回の結果を良しとしよう。

 夜、合宿の打ち上げを兼ねた恒例のバーベキュー大会、昨日食べ損ねた肉を嫌という程食べた。もう当分の間肉はいいや。

 以下、合宿成果&ライブ告知。

http://www.youtube.com/user/maru66040?feature=mhum#p/u/4/oJmsUZFi3Ww
http://www.youtube.com/user/maru66040?feature=mhum#p/u/2/m_urIrROdJw