日本縦断2700km:帰京

 5/7、5時前に目が覚めた。目覚ましアラームをセットするわけではないのだが、もう完全にこの時間位に目が覚める様に身体に擦り込まれてしまった様だ。身体はどよーんと怠く動きたくない感じ。でも動かなくていいのだ。二日酔いの症状は殆どない。まあそんなに大量に飲んだわけではないのでこんなものか。確か風呂は6時からだったと聞いていたので、取り敢えず二度寝を決め込むが、眠くないのでタブレットPCでネットチェックなどしながら布団の中でうだうだと過ごす。
 6時を過ぎたので風呂に向かう。立ち上がって歩いてみるとやはり左膝は痛い。階段を降りる時は結構な痛みが走る。どうやらほぼ完全に壊した様だ。これは治癒するのに結構な時間がかかりそう。でも正直な所、自転車に乗ろうという気は殆ど起きないので丁度いい休養期間が取れると、悲壮感どころかむしろ嬉しい感じがする。
 風呂は今日も貸し切り、ぬるめの湯にのんびり浸かって疲れを癒す。

 風呂から上がったら猛烈な空腹感。ホテルは素泊まりなので何か食べに出ようと思ったが、そう言えばホテルの直ぐ近くに牛丼のすき家があったことを思い出した。日本縦断走行中は一度も立ち寄らなかった牛丼が食べたくなって、朝食のメニューは直ぐに決まった。

 外に出る。薄曇りで肌寒い。気温は一桁か。
 すき家はホテルの目と鼻の先にあった。

 味噌野菜牛丼大盛りと豚汁を注文。さくっと完食。完全にブルベ腹だ。

 食べ終わって部屋に戻り、チェックアウトの時間までちょっとだけ横になってうとうとし、それからゆっくり荷物をまとめる。

 稚内空港までの連絡バスはホテル近くのJR南稚内駅から乗れるのだが、時間に余裕があったので、更に北にある終点の稚内駅まで歩いてそこから乗ることにした。

 9時過ぎにホテルを出て歩き始めた。稚内駅までは2km程。

 南稚内駅。
 
 駅に通ずる目抜き通りは、明るい時に見てもやはり閑散としている。まあ、この寂しい感じが最北端の小都市稚内にいるというのを実感できてそれはそれで悪くない。

 道路標識にロシア語の表記があるのは如何にもという感じ。ノシャップ岬に行く時間はないのでまた次の機会ということで。(次はあるのか?)

 稚内駅に到着。駅に行く前に直ぐ近くの港に行ってみる。

 不思議な形の建物、何だろう。(後で調べたらフィットネス施設らしい)


 海。穏やかで寂寥感があって、しばしぼさっと眺める。

 振り返って山側を見ると山の上に塔が見える。

 フェリーが入港してきた。

 稚内駅。日本最北端の駅だ。

 バス乗り場に行くと、参加者の皆さんが集まっていた。皆、空港に向かう所。皆さん非常に元気そう。

 バスに乗って空港に向かう。30分超で稚内空港着。
 空港では、自走で空港に来た参加者の皆さんが自転車を畳んだりしていた。参加者が集結してちょっとした賑わい。
 皆さんは2時間程後の羽田直行便に乗るのだが、私は程無く出発する札幌乗継便なので直ぐに搭乗口に向かう。

 久々のプロペラ機。2009年に奄美大島から沖縄に移動した時以来か。
 1時間程で札幌新千歳空港に到着。乗継移動で直接搭乗口に向かう。御腹が空いていたので、空港のレストラン街で豚丼かラーメンでもと思っていたが時間もなく叶わず。

 仕方なく売店で豚丼弁当を買う。不味くはないが冷たい弁当ではいまいち。

 程無く羽田行に搭乗。1時間半で羽田に降り立つ。

 羽田の人混みを見ていると、あー終わっちゃった…っていう何とも言えない気分になった。
 遅滞なくリムジンバスに乗りそのまま会社に向かい、予定通り戦線復帰を果たす。

 これにて日本縦断は終了した。

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 さて、現在。
 稚内から戻って来てもう直ぐ2週間が経とうとしているが、ようやく平常時の生活のペースを取り戻してきた。身体の芯に染付いていた様な疲れも殆ど抜けたし、左膝もほぼ完治した。一昨日の土曜日に10日振りにバイクに乗ったが、これがまるで乗り方を忘れてしまったかの様にフォームやバランスがガタガタで乗り始めはバイクが全く前に進まなかったが、10km程走ってようやく身体が思い出してきてまともに乗れるようになってきた。バイクもオーバーホールを完了し、正常な状態に復活した。今日から自転車通勤を再開。日々心身の良いリズムを作り出すのに自転車通勤は重要な役割を果たしているので、再開できたことでほぼ元通りの生活になったと見ていい。

 数日前に日本縦断の6本のブルべ全てのリザルトが出て、6本全て認定されていることを確認してほっとした。

 そこそこ時間が経って振り返ってみて、達成感・満足感は勿論そこそこあるのだが、それよりビッグプロジェクトを無事に完遂したという安堵感の方が強い。今回の2700kmを走破するということはチャレンジというよりプランの遂行ということになるのだろうか。子供の頃に漠然と思い描いていた日本の端から端まで走るというのは夢のチャレンジだったが、大人になってそれがブルべを繋いで結果として2700kmを走り切るという形で具体性を帯びた時、それを実現するためのプランニングにかなりの労力を割き、出来上がったプランを如何に確実にトレースするかということに注力した。この辺りに達成感と安堵感の違いが現れたような気がする。
 もしブルべではなくノープラン、フリーハンドで同じコースを走ったらまた違った感じ方をしただろう、いや、そもそもそういうチャレンジをしようと思い至らなかった様に思う。そう考えると少しばかり複雑な心境だ。
 有体に言えば、終わってみて2700kmがとてつもないハードルと思えなくなったところがある。何故なら「俺が走り切れた」からだ(別に自分自身を過大評価しているわけではなく、平平凡凡な人間にもできたということ)。

 でも、結果的に完走できたからこそ今の心境があるのも事実。もし完走できていなかったら、その悔しさと敗北感は相当なものだったであろうことは容易に想像がつく。函館スタート直後のトラブルとその後のギリギリの走りの中で相当な悲壮感に苛まれたがそれはリタイヤした言い訳を考え続けたのと同時に、ここまで走って来た道のりを思い返し再チャレンジをするなんてことが全く想定できなかったからだ。

 もし今、同じことをもう一度やるか?やれるか?と問われれば答えは依然としてノーだ。走行中を振り返ればやっぱり辛かった・苦しかった場面はしっかりと覚えているし、それに全体を見れば総じて天候的には好条件に恵まれていた。1000kmの時は悪条件だったが、その後は全般的に天気も良くほぼ追い風で、かなり楽に走ることができた。その上での完走だったことはよくよく認識しておかねばならない。もしこれが全行程雨やら低温やら向かい風だったとしたら、完走は至難の業だったに違いない。その意味からすれば、今回機を逃さずに走ったということに非常に大きな意味がある。年齢的なことや経済的なことも考え含めれば、今回完走しておかなければこの先二度とチャンスは巡って来なかったかも知れないからだ。

 2011年、PBPでフランスを走った時は非日常の連続だった(今でもふと、あれは夢だったんじゃないかと思うことがある)が、今回の日本縦断は現実の連続だった。PBPを走り終えた後は、おとぎの国から戻って来たかの様な不思議な感動が残ったが、今回はそういうことは全くない。現時点で現実的に想定し得た最大限のプランを完遂したという事実が精神的平穏を静かにもたらしている。

 次の目標は北海道1200km、7月に向けて準備を進めていく。日本縦断を走り終えた今、北海道1200完走のイメージはより確実な形で持てる様になった。

 日本がまた少しだけ狭くなった。