YAMAHA SG

 昨日までに何とか仕事の片を付け逃げ切り成功、来週の2日の出勤日は有休で埋め予定通り10連休と相成った。やりたいことは色々とあるのだが基本はノースケジュールでのんびり過ごすつもり。

 音楽・楽器ネタの続き、今回はYAMAHAのSG。
 以前、生涯で(恐らく)最後の一本を見定めたと書いたが、それを遂に手に入れた。

 YAMAHA/SG-1300。

 何故にこのギターなのかを順を追って書いて行くが、まずは前振り。 
 私にとってYAMAHAのSGは、貧困なボキャブラリーで言うなら”青春の投影”だ。ずっと昔からエレキギターと言えばもうYAMAHAのSG-1000か2000しか私の頭にはなかった。なぜそうなったかは私と同じ世代の人ならば容易に想像がつくと思うがその通り、カシオペアの野呂一生と高中正義が使っていたからだ。中学・高校時代にカシオペアと高中の音楽にどっぷりと浸かり寝ても覚めてもコピーしまくっていた頃に、SGのカタログをそれこそ穴が開く程に眺め、楽器屋に行ってはずっと見入っていたのでその時にもう完全にギターの造形はこの形以外にないと刷り込まれてしまった。当然SG-1000や2000を買う財力はなく、安い別のギターで我慢していた。
 大学に入って音楽的な視野が広がって行くに伴い、カシオペアも黄金期を過ぎ高中もピンと来なくなってきて徐々に聴く時間も減って来たが、ギターはやはりSGのままだった。俗人的な要素ではなくもうギター単独で確固たるアイデンティティーを私の中で放っていたのである。シンメトリックなデザインは独創的だがシンプルで奇を衒わず、ストラトキャスターやレスポールと肩を並べる程の存在感を示す。また、キーボードの流れからYAMAHAというブランドも確固たる信頼感があって、併せて”日本製”という要素も加わる。(その当時のギブソンやフェンダーのギターに比べて見た目にYAMAHA SGが方が仕上げが良かった)
 ついでに言うと、ギター単体の音に関しては余り着目していなかった。正直それ程知識や聴き分けられるだけの耳を持っているわけではなかったし、エレクトリックソリッドギターならエフェクターやアンプでどうにでもできるものと思っていたからだ。(勿論シングルコイルとハンバッカーの違い位は承知していたけど)
 残念ながら大学時代も金が無くてSGを手に入れることはできなかった。

 社会人になって初任給が出て、確か直後のゴールデンウィークにそれこそ札束を握り締めて東京の楽器屋を巡った。しかし、どこの店に行ってもYAMAHA SGは置いていないのだ(確か渋谷のYAHAMAにも無かった様に記憶している。1980年代中盤にはあれだけ隆盛を誇ったYAMAHA SGも1990年に入るとその人気は凋落していた)。10数軒の店を回って最後は確か高田馬場の楽器屋だったと思うが、やっとそこにSG-1000が1本だけあって、当初はSG-2000を張り込んでやろうかと意気込んでいたのでかなり逡巡したのだが、御目当てのカラーだったレッドサンバーストを目の前にしてどうしても素通りできずに持ち帰ったのだ。

 それがこのギター、YAMAHA/SG-1000。

 以来、25年間我が家のメインのソリッドギターとして使い続けている。
 
 手に入れた当時は余り気にならなかったのだが、月日が経って別のギターを1、2本手に入れて弾き比べているうちに徐々にベーシックな不都合を認めざるを得なくなってきたのだ。それは、SG-1000は弾き辛いギターだということだ。
 勿論SGばかり弾いている分には慣れもあって気にならないのだろうが、手持ちのストラトや後に手に入れたセミアコと比べると多少の弾き難さ感じる。SGのネックはかなり太く(厚く)、手の小さい私が弾き辛く感じるのは当たり前と言えば当たり前のことだ。それと歳を取って来てから特に思い始めたのだが、SGは重い。4.5kg程の重量はちょっと抱えるにはかなり重く感じるのだ。
 この我慢しようと思えば我慢できるものの不都合として認めざるを得ない事実が、後に時々発症する”ギター欲しい欲しい病”の要因となったのだ。

 ここ1年で発症した”ギター欲しい欲しい病”のきっかけはYAMAHAのSG-I(野呂一生モデルでSGベースの改良型)をオークションで見かけたことだ。SG-Iは実物は1、2度しか見たことはないが、SGを一回り小さくしたボディーサイズとボディーの一部をくり抜いたセミソリッドの作りで軽く取り回しがし易い作りになっている。そしてヘッドが小さく作られているのもポイントが高い。このギターは正にSGの発展型として私には非常に理想的に見えた。ただ、私的に許容し辛い部分もあって、SG-Iにはトレモロアームシステムが搭載されおりアームを使わない私にとってはギターにはついていて欲しくないものなのだ。そこを逡巡している間に、だんだん”死ぬまでにあと1本だけ買うとしたら…”と言うテーマにすり替わっていった。

 軽くて弾き易いSGがあったらなあ…、と思っていたら答えはあっさり見つかった。YAMAHA SGの隆盛のピークの頃、1983年末から1985年末の2年間に発売されていたSGラインナップの中にSG-1300というモデルがあったのだ。これはSGの難点であった重量軽減のためにボディーを薄くし3.7kg位まで軽量化したというモデルなのだ。更にネックも標準タイプより薄く作ってあるとのことだ。その当時のカタログにも乗っていたはずなのだが、SGと言えば1000か2000しかなくて亜流モデルには見向きもしなかった当時の私には記憶の片隅にも残っていなかった。
 ついでに言うと1300はスルーネック構造、過去はスルーネック構造の2000が欲しかった(1000はセットネック)けどその思いはこいつで代用できる。

 もうこれしかない。頭の中で思いつく限りのギターを比較対象にしてみたが並びかけることすらできなかった。決まりだ。
 それからネットの中古屋を片っ端から調べて回ったが、発売期間も短く生産本数も少ない亜流モデルなんで当然中古の流通量は皆無である。それでもとある中古ショップに1本あることを突き止めだが、写真で見る限りかなりコンディションが悪くネックにかなり大きい塗装剥げがあり強い打痕が疑われるギターだったのでおいそれと手出しができず逡巡しているうちに売れてしまった。長期戦覚悟でネットオークションにアラートを仕掛けた。

 チャンスは意外に早く唐突に訪れた。
 PBPを走り終えてホテルに戻り、冒険の完遂のプレッシャーから解放されてPCを開いて数日振りにメールを見たらアラートメールが届いていた。早速アクセスしてみると写真で見る限りコンディションはかなり良い。フランスにいる非日常性も手伝って完全に競り落とすつもりで早速ウォッチリストに登録し、帰国の翌日に首尾良く落札することができた。

 数日後届いてみたが、写真で見た以上にコンディションは良い。金属部分には若干の錆や曇りがみられるものの全体的に傷・打痕は皆無で、これはコレクターズコンディションと言って差し支えないレベルだ。金額的には当時の定価以上の値付けで入札には相応の覚悟が要ったがこれはかなり嬉しい。
 持ってみると確かに軽い。ボディーも薄くて抱え易い。

 比較してみると結構な厚みの差がある。
 早速弾いてみたが、想像以上に弾き易い!

 ネックの太さを比べてみると一目瞭然、この見た目以上に弾き易いのだ。

 実物を触ったことが無かったのでどの程度の改善効果が得られるのか正直不安だったのだが、この結果に安堵した。
 絶対この方が弾き易いし扱い易いはずなのに、なんでこの仕様がSGのラインナップの中にもっと取り入れられなかったのだろう?YAMAHA SGの歴史の中でこの仕様はSG-1300だけ。

 このギターをよく見ていくと、コントロールノブとブリッジがオリジナルから交換されている。

 必ずしもオリジナルでなければならないという意識は強くないので、コントロールノブについてはブラックボディーに合わせて交換されいるし特に違和感はないが、ブリッジがオリジナルのナロータイプでなかったのはちょっと残念。SGのナローブリッジは1300の他に3000や幾つかのモデルに一時的に採用されていて、弦の振動伝達性に有利と言う説もあるし見た目にもバランスがいいのでオリジナルのブリッジに戻したいと思ったのだが、ヤマハに問い合わせてみたら遠の昔に廃番だった。オークションで中古パーツが出て来るのを気長に待つ。

 ギター探しの旅は終わった。
 本当に終わったのか?と自分に問うてみるが、頭の中に思い浮かぶ欲しいと思うギターは本当に一本もないのだ。昔の自分なら何かを手に入れても直ぐ次の物が浮かんできて、所謂物欲と云うものが枯れることはなかったのだが、そういう意識はなくなった。
 歳相応と言うべきか、枯れたのか。嬉しくもあり、寂しくもある。

 手元にある数々の楽器との付き合いはまだまだこれから、音楽を演り続けるモチベーションは枯らさない様にしないとね。