Bike Across Japan 2400(日本縦断2400km)/レポート3:ステージ1(佐多岬->臼杵/332.4km)

 4/29(木)、朝5時半起床。睡眠時間は充分で眠気はなくすっきりとした目覚めだ。

 九州の南端は快晴。

 6時過ぎに朝食、大分臼杵までのエネルギーをしっかりと摂る。

 食事を終えて腹ごなしにホテルの近くを散歩。

 風も穏やかで静かな海。

 何かこのままここにのんびり滞在したい気分だがそうもいかない。
 部屋に戻って着替える。今回用意したものはジャージはBAJジャージでレーパンはPBPで尻の痛みが皆無だったパールイズミのDパッド付き。基本はこの上下のみで最後まで行くつもり。ジャージやレーパンの替えは持たず、寒さ対策はアームウォーマーとニーウォーマー、ウィンドブレーカー及びフルフィンガーのグローブを持って走る。更に寒くなった場合はレインジャケットとレインパンツを防寒具代わりに着るつもりだ。

 ホテルのロビーに貼られた寄せ書き。50余名のそれぞれの思いが綴られている。

 バイクケースを引き渡して、出発準備完了。このケースを稚内まで自走で取りに行くことになる。

 取り敢えずバイクセッティングはばっちりやったつもり。

 トミナガさん謹製のプレートをシートポストに装着。

 今回新規に導入したモンベルのフロントバッグ。この中にウォーマー類やウィンドブレーカー、補給食などを入れて走りながらでも取り出せるようにした。必要装備はサドルバッグとフロントバッグで全て収納し、各ホテルへのセルフドロップバッグ送付はやらずに全て持って走ることとした。

 念のためブレーキシューの位置を再確認、再調整。2年前の日本縦断でブレーキシューがタイヤに当たってタイヤサイドが擦り切れてしまいパンクを連発、DNFの危機に瀕した。同じ轍は二度と踏まない。

 7時半過ぎにホテルを出発、緩々とスタート地点の佐多岬に向かって走り始める。

 佐多岬までは7km弱だがアップダウンが結構きつい。

 たかだか数kmのこの程度のアップダウンがプレッシャーに感じる。これから2350kmを走ろうっていうのに序盤からこの感じでは先が思いやられる。

 佐多岬の入口となる駐車場に到着。ここかスタート地点となる。


 早速受付をしてブルべカードを受け取り、装備チェックを済ませる。

 ガジュマルの巨木。流石南国。

 このトンネルの先800mが佐多岬だが、徒歩でしか行けない。今からでは時間が足りずに行くことはできない。

 ブリーフィング開始。まず冒頭、熊本大震災で犠牲となった方々に黙祷を捧げる。今回のこの大イベントの総合プランナーの白木さんから説明を受ける。白木さんは2年前の日本縦断の直前に事故で怪我をしてしまいスタートできなかった。その無念さが今日晴らされようとしている、そんな思いが詰まった様な溌溂とした口調だ。


 地元の皆さんが補給食や水を用意して下さった。ネッピーパイまんを2個頂戴する。

 地元のホテルかマスコミの関係の方々か、わざわざ応援の横断幕を用意して頂いた。ありがたいことだ。

 スタート直前に集合写真を撮る。あとはスタートするのみ。ここまで来たらもう覚悟を決めるしかない。

 4月29日のおおよそ9時、スタート。応援の方々の声援を受けながら50余名の参加者が三々五々出発していく。サイクルコンピュータの設定を確認したりしていたらいつの間にか殆どの参加者が出発してしまっていた。最後尾付近から緩々と走り始めた。

 ハンドルに取り付けたアクションカムをチェックしたら、スタート時に録画開始したはずなのに電源すら入っていない状態だった。原因は不明だが不調だ。パッキング時は抜かりなく動作確認もしたしフル充電もしておいたのに、折角の記念映像を取り損ねてがっかりだ。気を取り直して走る。
 走り始めて1kmも行かないうちに道端でウワンさんが停まっている。いきなりパンクしたらしい。何ともツイてない。

 遠くに開聞岳が見える。天気は最高!素晴らしいサイクリングコンディションだ。この天気が全行程続いてくれればと願う。

 「宗谷岬まで2700km」の道路標識。実物を見るとやはりインパクトがある。

 初日のコースは、鹿児島南端から宮崎を縦断して大分臼杵の港まで行く330km。

 前半と終盤にまとまってアップダウンがあり獲得標高差は3200m、全行程の中で最も登る区間だ。計画上、臼杵発2:50のフェリーに乗るためには遅くとも2:00には臼杵港に着かなければならない。そのためにはこの区間を17時間で走らなければらならず、ちょっときつい計画になっている。

 序盤のアップダウンをぼちぼち登って行く。体調はまずまず、脚もそこそこ回る。とにかく長丁場なので、オーバーペースにならない様に常に気を配らなければならない。過度に疲労を溜め込んだり膝を痛めたりしたら完走が危うくなる。いつも通り基本は独り走行でマイペースで行く。

 海沿いの道をぼちぼち走る。

 薩英戦争当時の砲台跡。弾は英国の軍艦には全く届かないので実際に撃たれたことはないらしい。

 南大隅町に別れを告げる。

 桜島は遥か先。思った以上に鹿児島は大きい。

 自衛隊の鹿屋航空基地を通過。

 鹿屋市街通過。都城方面に向かう。
 何となく御腹が空いたのでスタート地点でもらった御菓子を食べる。これがかなり旨い。遠慮して2個しか貰わなかったが、まだたくさん残っていた様なのでこんなことならもっと貰っておけばよかったと後悔。

 アップダウンが続く。都城まで21km。

 都城市街に入って国道269号と国道10号が重なった。国道10号をひたすら北上すると大分に到達する。

 117km地点のPC1に到着、チェックタイムは4/29の14:06。

 空になったボトルをアクエリアスで満たし抹茶ロールケーキを食べて30分程休憩。

 何となくぼーっとしながら走る。それ程気温が高いとは思わないのだが、ずっと怠い感じが続いている。これは春先に上手く汗が掻けずに身体が暑さに順応できない時の典型的な症状だ。

 PCを出てそれ程距離を走っていないのに喉の渇きに耐えられず自販機で止まる。2年前もやはり初日に同じ様な状態だったことを思い出した。まあ、日が落ちて気温が下がれば改善されることは予測がつくので焦りはない。

 宮崎市街が近づいて来た。4年前の福岡1000でこの国道220号を空港方面に走って行った。この辺りは台風の豪雨で冠水が凄かったことを憶えている。

 南国の風情。


 中心部の目抜き通りは祭りの交通規制で迂回を余儀なくされる。

 宮崎市街を抜け、再び国道10号に乗る。延岡まで55km。だいぶ日も傾いて来た。

 212km地点のPC2に到着、チェックタイムは4/29の18:33。

 空腹感があるので焼うどんでしっかり補給。30分程の休憩で出発。

 日が沈んだ。ぼちぼちナイトラン開始。
 日が落ちて気温が下がり、ちょっと調子が出て来た。

 延岡市街通過。

 10号線が山がちになってきて道路灯もない山道を走る頃にはかなり寒くなってきた。恐らく気温は1桁じゃないかと思う。まさか九州でここまで寒いとは予測していなかった。とりあえずアームウォーマーを着けて凌ぐ。

 10号線の山道はなかなか終わりが来てくれない。10km位登ってようやく下り始めた。人家もちらほら見え始めてほっとした。

 307km地点のPC3に到着、チェックタイムは4/29の22:48。

 臼杵までそんなに距離もないので補給は軽め。20分程の休憩の後、出発。
 走り始めは汗冷えして寒い。アップダウンは身体が温まるのでむしろありがたい位。

 フェリー乗り場まではあと25km。今のペースから行けば2:40発のフェリーに乗るのは充分間に合うが、逆に早く着き過ぎてフェリーを待つ間に仮眠を上手く取れるかどうかが心配になって来た。

 高速大分道はまだ災害復旧していない区間がある。震災の爪痕は深い。

 もう直ぐのはずなのに駄目押しの様な登りが出て来る。このトンネルを抜ければいい加減到着するだろう。

 臼杵城跡。寝静まった臼杵の街中を通り抜ける。

 ようやくフェリー乗り場に到着した。到着時刻は0時半。

 フェリーの待合場に入ると、何故かBAJにはエントリーしていないタカトリさんがいてちょっとビックリ、聞けば奥様と旅行できているらしい。タカトリさんが0:55発の宇和島フェリーにぎりぎり間に合うと教えてくれた。これは嬉しい誤算、写真を撮る間もなく急いで乗船手続きを済ませ、数人の参加者と共にフェリーに乗り込む。


 車両もガラガラ。何時のフェリーに乗れるか分からなかったので事前予約をしていなかったのだが、もし満席だったらどうしようとの心配は全くの杞憂だった。

 2等船室はガラガラ、一区画をほぼ貸し切り状態だ。場所を決めて貸毛布を借りてきて取りあえず仮眠態勢を整え、直ぐに横になった。就寝時刻は1時前。