稲垣さん

 今朝、出社してちょっと仕事してプライベートメールに目を通したらオダ埼代表からのメールのタイトルに「稲垣会長事故」と書いてあってちょっとびっくりした。稲垣さんは今ニュージーランドの1200kmブルべを走行中のはずだが事故に遭ってしまったのか、大した怪我じゃないといいけどねなんて軽い気持ちでメールを開いて本文を読んで、頭が真っ白になった。
 そこには亡くなられたと書いてあって、心底驚いた。俄かに信じられなかった。
 ツイッター上でブルべ関係者のツイートが飛び交い始め、最初は誤報であって欲しいを願ったが時間が経つにつれてそれが確定情報となり、オダックスジャパンのホームページ上に告知が出された時それが事実だと理解せざるを得なくなった。現地報道やブルべ関係者の情報を集めると、今朝の6時半頃Tiki Tour 1200を走行中に、見通しの良い直線道路で後ろからトラックに突っ込まれて稲垣さんはその場で亡くなられ、一緒に走っていた人は重傷でヘリコプターで救急搬送され一命を取り留めたとのことらしい。

 只々残念で悲しく寂しいという他はない。

 初めて稲垣さんを御見かけしたのは確か2010年のAJ千葉の忘年走行会の宴席だったと思う。恒例の出席者の自己紹介で、稲垣さんは6週連続で600kmを完走したとか話をされて、凄い人がいるもんだと感心したのを覚えている。
 稲垣さんと初めて一緒に走ったのは2013年のBRM413埼玉400の時。昼間に一人のランドヌールと一緒になり、会話をしていたら途中でカレーうどんが有名な店があってどうしても寄って行きたいのだが閉店時間に間に合いそうにないらしい。場所は10km先だが閉店時間まで30分を切っている。僭越ながら前を牽かせて頂いた。向かい風できつかったがエースを引き上げるアシストになったつもりでガンガンに牽いて何とか閉店の10分前に店の直ぐ近くまで辿り着いた。別れ際に名乗られたのだがそれが稲垣さんだったと知って驚いたのを覚えている。
 稲垣さんと最初にちゃんと会話をしたのは2014年の日本縦断2700の時。1000kmの途中で稲垣さんとたまたま一緒になって走っていた時、「あなたがxxxさんか。あったら御礼を言おうと思ってたんですよ」と仰られ何のことかピンと来なかったのだが聞けば私がルートラボで作っていた日本縦断の走行プランを見て同じホテルを幾つか予約されたとのこと。そう言われてみれば確かに同じホテルに同じ自転車が停まっていたのを見かけたがそれが稲垣さんだった様だ。縦断の最終ステージ600では真夜中に増毛のホテルを目指して一緒に走った。走っている間海外ブルベのことなど色んな話を聞かせて頂いた。
 2015年のPBPでは往路の途中で一緒になりルディアックの手前まで一緒に走った。体調が悪くて吐きながら走っていたと仰っていたのにちょっとした登り坂が目の前に現れると猛然とダッシュしていく後姿を見送った。
 稲垣さんは私がホイールサイズ650Cのロードバイクに乗っているのを御存じで、稲垣さんも650Cのバイクを作るとのことで時々質問を頂いたりしたこともあった。
 去年の北海道1200では復路の北見PCで一緒に食事をしながらここまでの道のりの振り返りを歓談した。今年に入って1月の青葉200の走行中に、私がLELのエントリーで四苦八苦しているのを御存じの稲垣さんが「エントリーはうまくいった?まだなの。じゃあ現地の知り合いに聞いてあげようか?」と小田原市街の渋滞に嵌りながら助け船を出して下さった。最後に御会いしたのは2/18の我がオダ埼清水班の300kmに走りに来て下さった時。スタート前にちょっと御話しして元気にスタートして行かれる姿を見送ったのがまさか最後になるとは思いもしなかった。

在りし日の稲垣さん(去年の北海道1200の前日、受付の片隅で熊本義援金のためのAJ刺繍ワッペン販売中)

 ツイッターフェイスブック上に溢れる稲垣さんの急逝を悼む記事を見るにつけ、稲垣さんの人柄が偲ばれる。齢60を過ぎてなお、溢れんばかりのパワフルさとバイタリティーを常に振り撒きながら、AJ会長としてまた一人のランドヌールとして周囲の人々を時として強引に乗せて引っ張っていかれる姿は本当に若々しく、世界中のブルべを飄々と貪欲に走り回る姿勢は老いや衰えを微塵にも感じさせなかった。私的には自分も60歳を過ぎてかくありたいと思う理想像、人生の目標とする御人であった。

 一方で、世界中のブルベを数知れず走破し百戦錬磨のベテラン・ランドヌールの稲垣さんですら避けられない事故があったということを厳粛に受け止めなければならない。事故に遭う確率という観点から考えれば、自転車に乗っている時間が長ければ長い程事故に遭う可能性が高くなるのは自明の理だ。私も完走したブルベが130本を越えそろそろベテランの仲間入りができるかなんて浮かれている場合ではない。事故に遭う確率を少しでも下げるために、自分以外の何物にも期待することなく慎重の上に慎重を重ねて余裕を持って走ることを肝に銘じなければいけない。

稲垣さん「ヨーロッパ3大ブルベ、狙ってるんだよね?」
私「はい」
と、ついこの間御話しした時は何の気なしに返事をしてしまったけれど、これから先もしばらくはその背中を見ながらブルベを走ることができるだろうと思っていた稲垣さんが突然いなくなってしまって、その時の「はい」という返事が急に重いものになった気がした。稲垣さんが世界中を自分の脚で走り回り見たもののほんの一部でいいから、私も見てみたいと思う。

 あの溌剌と自転車を漕ぐ稲垣さんをもう見ることはできない、稲垣さんの世界のブルベ武勇伝をもう聞けないのは本当に寂しい。今はただ稲垣さんが安らかな眠りにつかれたであろうことをただ信じるのみだ。

 さようなら、稲垣さん。今まで本当にありがとうございました。