訃報

 4/29、ゴールデンウィークの初日は自転車でメーデーのために都心に出て15時過ぎに自宅に戻って来た。PCを立ち上げメールチェックをした時、バンドのメンバーからのメールのタイトルに訃報という文字があった。それを見ただけで事を理解し、落胆し途方に暮れた。いつかはこんな日が来るとは思っていたがこんなにも突然、こんなにも早いとは。

 今細々と活動を続けているジャズバンドのメンバーでもあり、大学のサークルの先輩でもある佐藤さんが闘病の末、亡くなられた。年齢的には私より2つ年上のはずなので52歳だと思われるが、若過ぎる旅立ちだった。

 1年程前、バンドのメンバーから電話がかかって来て、沈痛な声で今やろうとしているライブを成功させたいと言ってきた。メンバーも不揃いで曲もろくに練習していないので人に聴かせるには程遠い状態だったのでライブの話はメンバーの大半が半信半疑だったはずなのに、そいつがわざわざ仕事中に電話をかけて来てまでライブの話をするなんてそれだけでただならぬ雰囲気があったのだが、話を聞いてみれば実は佐藤さんから病気のことを打ち明けられたかららしい。病名は明かしてくれなかったとのことだが、話の流れから相当重病と思われたとのことだった。俄かには信じられなかったが、そういうことなら何としてもステージに上がって演奏したいと思いを新たにして曲をまとめに入った。メンバーには佐藤さんの病気のことを伝え、また佐藤さん御自身からもこのバンドでもう一度ステージに立ちたいという思いを伝えられて、何とか開催に漕ぎ着けた。
 去年の11月の私の会社の音楽サークルのライブで念願のステージに立つことができた。演奏の内容はどうこう言えるものではなかったが、それでも久し振りの人前での演奏の高揚感はメンバー皆が楽しめたのではないかと思った。演奏が終わりステージを降りると、客席には佐藤さんの御家族の姿があった。こんな場末のライブに御家族がわざわざ足を運んで下さったということが何を意味するのか、その時痛感した。御家族に御父さんの晴れ姿を御見せすることができて本当に良かったと、バンマスとして安堵した。

 年が明け、今年の2回目の練習だった4/9、ギターの後輩がバンドに初めてやって来た。佐藤さんが「自分はバンドを辞めるつもりはないけど何かあった時の後釜として」とバンドに誘ったとのこと。メンバーが増えるのはウェルカムだけど、正直なところ複雑な心境だった。元気そうな佐藤さんの姿に病気のことを忘れかけていた。練習が終わっていつもなら呑みに行くところだが、私的に翌週に迫ったブルベの開催準備が進んでいなかったので呑み会には行かずそのまま帰宅した。これが佐藤さんとの今生の別れになるとは思いもしなかった。こんなことになるなら飲みに行っておけば良かったと後悔してももう遅い。一期一会と言う言葉が今になって沁みる。

 佐藤さんとは大学のサークルの先輩、工学部の専攻学科も同じだった。大学卒業後、東京に就職した後程無くまた一緒にバンドをやることになり、途中中抜け期間もありつつ今年で32年になる。改めて振り返ってこんなにも長い間の付き合いだったのかと驚くが、もうこの付き合いが不変のものと思っていたのに、突然佐藤さんがいなくなって心にぽっかり穴が空いてしまった。唯々寂しく悲しいと言う他はない。佐藤さんのギターは堅実且つ時折見せるアグレッシブなプレイで、バンドを手堅く支えて下さった。演奏でも呑み会でも朗らかに接して頂いて、バンドのムードメーカーでもあった。うちのバンド、一頃はメンバーの結婚式の2次会バンドだったけど、そのうちメンバーの葬式バンドだねと呑み会で冗談飛ばしてたけど、全然準備ができてない。笑って見送れる歳じゃないですよ、先輩。

 それにしても病気を知って自分の死期を知ってそれを受け入れて、バンドの練習にも淡々と参加されていた佐藤さんの姿には唯々感服する。自分の死期を知ってそれを受け入れて、その日に向かって粛々と準備をして初めて人生を自ら完結させたと言えるのかも知れない。今の自分にはそんな精神力は全く備わっていない。まだまだ未熟者だ。できれば自分の死期を知る前に身に付けておきたいのだけれど。

 昨日御通夜に参列して、遺影を拝して改めて悲しさや寂しさが募ったが、御別れができてちょっとほっとした。残された御家族の皆様が、悲しみが癒えて穏やかに御過ごしになられることを切に希望します。

 佐藤さん、長い闘病生活で大変な御苦労をされたと思いますが、ゆっくり御休み下さい。佐藤さんと32年という長い間バンドを御一緒できたこと、私の人生の中でかげがえのない時間の一つとなりました。本当にありがとうございました。

 さて、一区切り。バンドはこの後も細々ながら続けていこうと思う。

 The show must go on.
 The show still goes on.