人様に迷惑をかけないということ

 昨日の秋葉原の事件は痛ましいの極みで、恐らく事態を理解する間もなく命を絶たれたであろう被害者の無念さを思うと言葉がありません。
 凶行に及んだ犯人に対しては当然ながら強烈な憤りを感じるのですが、一方でその所業にはどうやっても私には理解不能な部分が多過ぎます。

・何故普通の人なのか?
・何故突如暴発するのか?
・何故動機が”薄い”のか?
・何故道連れを作りたがるのか?
・何故無差別なのか?
・何故冷静なのか?
・何故罪の意識を感じないのか?

 最近の無差別通り魔的事件の多くに共通している点です。昔はこの様な凶行は精神的に錯乱していて意識が吹っ飛んだところで起こっていたと思うのですが今は心神喪失とかではない普通の意識の元で起こっていることの方が多いような気がします。
 浅学と拙い想像力なり考えてみるに、そういう人達の頭の中には自分以外の存在はなく、自分と同じ様な多くの人間が並列的に共存しているなんてことを直感的にイメージすることが根本的にできないのではと思ってしまいます。
 何故そうなってしまったのかはわかりませんが、一般的な人間に本来備わっているべきブレーカーみたいなものが根本的に欠落しているような気がしてなりません。

 昔はよく「人様に迷惑をかけるな」という言葉が普通にあって意識しないうちに刷り込まれていました。その御陰で私の行動規範の最も基本的な原則となって、元来短気で何かにつけ腹を立てることの多い私でも、今も何とか普通に暮らしていくことができています。
 しかし今の社会には昔に比べてそういうものを醸成する機会や場所がどんどんなくなっているようですし、そういう意識が希薄になってきていることを肌身に感じることが増えたように思います。

 いきなり矮小になりますが、最近の自転車事情にもレベルの差こそあれ似通ったものを感じます。
 交通ルールを守らない人、その人に対して怒る人もそれぞれが結局は自分中心に全ての尺度ができあがってしまってはいないだろうか?他の人々と共存していること、他人に迷惑をかけないことがルールを守ることの大前提にあるのを忘れていないだろうか?私自身はどうなのだろうか?

 そんなことを考えつつ通勤している今日この頃です。