PBP2011参加レポート4:第1ステージ

第1ステージ:SAINT-QUENTIN-EN-YVELINES〜MORTAGNE-AU-PERCHE(区間距離:140km、総距離:140km)

 沿道に詰めかけた観客の声援を受けながら数100名のライダーが疾走していく。のっけからかなりのスピードだ。暫くは交通規制された道路を先導車について走っていくのだがスピードは40km/hは出ている感じ。こんなスピードで走って大丈夫かと思うが、周りにつられてどんどん走る。沿道の観客も絶えることなく、大集団で走っているとこれがツール・ド・フランスのプロトンかと錯覚する。そしてロータリーに差し掛かると集団が左右に分かれてロータリーを通過しそして再び一つになるという、ツールならではの光景が展開される。集団の中からそれを眺めることができるなんて、これぞツール疑似体験!

 道は噂通り細かいアップダウンの連続、平坦区間は短い。それでも集団はお構いなしにどんどん進んでいく。後ろからどんどん追い抜かされていく。市街地の道路を抜けたところで先導車がいなくなり、交通規制なしの走行開始。それでもペースは変わらない。むしろ先頭の方では更に上がった感じ。途中の石畳区間では激しい揺れを感じ、路面に前走者が落としていったライトやらボトルやらが散乱している。何かもうブルベの走りじゃないくらい速い。
 街中を抜け、だだっ広い農地が見渡せる道に出た。先の方では集団がいくつにも分かれ、先頭集団はもう遥か先だ。相変わらず40km/h近いスピードで走っているが、さすがについて行くのがつらくなってきた。距離的には30kmを過ぎたあたり、18:00になろうかというのに日差しがきつくボトルの水がどんどん減っていく。汗をだらだらかきながら心拍は170に届こうかという勢い、完全にオーバーペースである。「このままではつぶれてしまう」とここで集団から切れることを決意、あっという間に集団は行ってしまった。

 ここからが試練の始まりだった。あれだけの大集団はずっと先の丘を越えて見えなくなってしまい、前後には遅れたライダー達がぱらぱらと散見されるだけ、いきなりの一人旅になってしまった。おまけに結構きつい向かい風基調、単独走行だと更に負荷が増す。スピードも20km/hを割り込むまでに落ち全く前に進まない。心拍も上がりっ放しで落ち着く気配がない。体調が明らかにおかしい、この感じは去年のBRM724埼玉600アタック北信の時と同じで暑さにやられてしまったらしい。ボトルの水も半分は飲み干してしまい、日本と違ってこの先いつ補給できるかもわからない。MORTAGNEまであと100kmある。
 よろよろと走り続ける。途中で既に道端で寝ているライダーや引き返してくるライダーとすれ違う。早くもDNFなのか、と思うと私も「ここで終わりか・・・」と弱気になる。とにかく日が沈むまで持ち堪えられればと、必死でペダルを漕ぎ続けた。パトカーと救急車の脇を通過する。見ると首にコルセットを付けたブルべライダーが道端に座り込んでいる。どうやら事故があったらしい。この光景が更に心理的重圧をとなって圧し掛かる。ボトルの水を少しずつ飲みながら果てしなき農村地帯の道を淡々と走り続けた。

 どれくらい走っただろうか、先の方で数名のライダーが止まっている。近付いてみると民家の前で水を入れてもらっている。助かった!這うようにして辿り着きボトルを差し出した。すると御婆さんがホースで水をボトルに注いでくれた。まさにオアシスだ、「メルシーブクー」と何度も御礼を言いその場を離れた。沿道の私設エイドステーションは話に聞いていたが序盤から御世話になるとは思っていなかった。
 これ以降、更に3か所ほど御世話になった。本当に助かりました。

 日が落ちて気温が下がって来て、体調がようやく徐々に回復してきた。スピードも30km/h弱まで戻ってきたのでまずはMORTAGNEまで確実に行こうと上げ過ぎずに走る。もう少しでMORTAGNEというところでリカンベントや90Hクラスの先頭集団に抜かれ始める。さすがにみんな速い。でもひたすらマイペースで走る。
 そこそこの勾配の坂を幾つか登ると街並みが見えてきた。ナビにも目的地が表示される。街中を抜け、ようやく23時頃に第1ステージのゴールMORTAGNEに到着した。
 ここで日本人サポーターに声をかけて頂き、休憩しつつ話をした。日本人通過者は数名とのこと。とりあえずコーラを飲みサンドイッチ(と言ってもフランスパンを割って中に肉を挟んだもの)を食べて、20分ほど休憩した。