2020BRM216四国200/レポート1:スタート前日

 2月も下旬に入りかなり寒さも緩んできてそろそろ冬用ウェアを仕舞っても良いかなという位の気温になってきた。2月に入って体調良く快適に過ごしていたのだが昨日からちょっと体調を崩し気味で今日は風邪薬を飲んで大人しく過ごしている。これから歯医者で手術だし明日はブルベでちょっとナーバス、まあどちらも時間が解決してくれるから取り敢えず残り時間は極力休息に努めることにする。

 そんなわけでBRM0216四国200の走行レポートは下記の通り。

 

---

 

 2/15(土)、7:00に自宅を出発。フライトは12:00だがリムジンバスを使うので首都高渋滞を見越して早めに移動開始。輪行袋を担いで徒歩で最寄り駅に向かう。

 今回の遠征は初めてのAR四国さんのブルベに参加するという大目的があるがもう一つは幼少期に住んでいた場所を尋ねるというイベントも仕込まれている。先月末の玉名遠征に引き続いての人生タイムスリップ企画第2弾だが、今回の玉名より更に時間を遡って幼稚園、小学校時代に行くことになる。まだ人間的に覚醒前なので複雑玄妙な記憶は少なく気楽に訪ねられる感じだ。でも記憶自体はそれなりの量があるので楽しみ。20年以上前に一度訪ねたことがあるのだが逆にその時の記憶が何故だが薄い。多分業務出張で仕事の合間を縫って(サボって)慌ただしく見て回ったので落ち着いて見る暇がなかったのだろうが、むしろその方が今回の有難味が大きい。

f:id:gearmasher:20200215072315j:plain

 7:20、最寄り駅に到着。今回も簡易輪行袋で飛行機輪行を行う。

f:id:gearmasher:20200215073727j:plain

 7:40発の羽田空港行きのリムジンバスに予定通り乗車。

 外観から首都高に乗ったところで事故渋滞に嵌まった。マージンは2時間持っているが一度首都高渋滞で乗り遅れた経験があるのでやはり心配。

f:id:gearmasher:20200215093650j:plain

 渋滞があったものの結果的にほぼ到着予定時刻通りの9:35に羽田空港第1ターミナルに到着。

 今回のフライトはJAL、四国方面行きは南ウイング。

f:id:gearmasher:20200215093825j:plain

 手荷物カウンターは例によって長蛇の列。

f:id:gearmasher:20200215094737j:plain

 自転車を預けるカウンターは限定されているので注意が必要。

f:id:gearmasher:20200215094925j:plain

 JALも特段のリマークなしですんなりと預け入れできそう。重量は9.0kg、前回7.0kgだったが良く考えてみたらこっちの方が適正値だな。

f:id:gearmasher:20200215100316j:plain

 あっさりと輪行袋預け入れが終了してほぼ2時間が余った。特にやることはないのでそのまま搭乗口へ。搭乗口はバス経由の場所だがまだ誰もいなくてひっそりと静まり返っている。時間はたっぷりあるのでノートPCを取り出し館内WiFiを利用してネットを徘徊しつつ時間を潰す。スマートフォンだと画面は小さいし文字入力が大変だが、ノートPCだと本当に楽だ。

f:id:gearmasher:20200215114011j:plain

 割と退屈することなく時間を消化し終えて定刻に登場開始。

f:id:gearmasher:20200215114839j:plain

 定刻通りに離陸してい空路高松に向かう。

f:id:gearmasher:20200215125019j:plain

 機内ではWiFiが使えるのが有難い。久し振りにホットコーヒーを飲む。私的にはコーヒー好きなのだが飲むと速攻で胃が荒れるので飲む機会が非常に少ないので、機内サービスレベルでも十分に旨い。

f:id:gearmasher:20200215131135j:plain

 あっという間に瀬戸内海上空に到達。瀬戸内海らしくたくさんの島々が見える。

f:id:gearmasher:20200215131433j:plain

 これは小豆島ではないか。こうやって見るとかなりデカい。

f:id:gearmasher:20200215132058j:plain

 高松上空。水不足がよく発生する土地柄なので溜池があちこちにあるのが特徴。

f:id:gearmasher:20200215133234j:plain

 予定通り13:30に高松空港に着陸。

 バイクケースはすんなり出てきて取り敢えず空港の外に出る。

f:id:gearmasher:20200215134106j:plain

 高松の天気は曇りで思っていたより寒い。取り敢えず雨の心配はなさそうなので予定通りここで輪行解除して自走でホテルまで向かうことにする。

f:id:gearmasher:20200215140233j:plain

 20分程でバイクの組み立て完了。ざっと見回して取り敢えず破損個所はなさそうで一安心。

 高松空港から高松市が今では15km程とかなり近い。空港は山の上にあるので往路は下り基調。道もほぼ一本道なので迷う心配もなさそうだ。

f:id:gearmasher:20200215141002j:plain

 緩々と空港を出発。ジーンズに荷物がいっぱいに詰まったバックパックを背負って走るのはなかなか大変。

f:id:gearmasher:20200215141205j:plain

 空港の敷地を出たら直ぐに下る。そこそこ勾配があって長い。明後日自走で再び空港に来る時は荷物を背負ってこれを登らなければならないので結構大変だ。

f:id:gearmasher:20200215142634j:plain

 下りを終えて国道193号をひたすら北上する。道路標識に栗林公園とか仏生山とか懐かしい地名が出てきてノスタルジーが湧き出てくる。

 この道は明日のブルベでも終盤に走ることになっている。

f:id:gearmasher:20200215143645j:plain

 昼食にどうしても行ってみたいうどん屋さんがあるので一旦ルートを逸れる。最新の情報では14時閉店となっているので絶望的だが万が一ということがあるので行ってみることにする。

f:id:gearmasher:20200215143915j:plain

 この辺りは昔住んでいたところの直ぐ傍。このまま見て回りたいところだが元々はまずホテルにチェックインして後程電車で来る予定なので取り敢えず素通り。

f:id:gearmasher:20200215144105j:plain

 駄目元で来てみたがやはり駄目だった。当時ここに住んでいた時にちょくちょく親に連れてきてもらっていた店なのだが、今でもやっていることが分かって是非行きたかった。明日はブルベだし明後日は定休日なので残念ながら今回の高松遠征では食べられない。

f:id:gearmasher:20200215145456j:plain

 再び国道193号に乗って北上、栗林公園前を通過。

f:id:gearmasher:20200215145519j:plain

 当時は何度も来たことのある場所だがここの記憶は余り残っていない。時間があれば寄ってみたいところ。

f:id:gearmasher:20200215150426j:plain

 高松市街の中心部に入った。随分と都会になっている。

f:id:gearmasher:20200215151811j:plain

 15時過ぎに無事にホテルに到着。ホテルは市街中心部からちょっと外れて高松港の近くにある。

f:id:gearmasher:20200215151627j:plain

 バイクの部屋入れOKで助かる。取り敢えず荷物を置いて直ぐに外出。早速懐かしの場所巡りに出発する。

 徒歩で最寄りの琴電の駅に向かう。駅までは1kmもなくかなり近い。

f:id:gearmasher:20200215152540j:plain

 琴電の踏切を渡る。こういう風景が記憶の中の風景と一致していきなりタイムスリップモードに入った。

f:id:gearmasher:20200215152707j:plain

 琴電片原町駅に到着。この駅では余り乗り降りをしたことはないので記憶は薄い。

f:id:gearmasher:20200215152735j:plain

 仏生山・滝宮・琴平方面行きに乗る。この薄暗いホームの感じが当時のままだ。線路を渡って向かいのホームに行くのもそのまま。新技術にはちゃんと追従していてPASMOが使えた。

f:id:gearmasher:20200215152821j:plain

 電光掲示板とか視覚障害者用のタイルなど新しくなっているがホームの建屋自体はそのままだ。

f:id:gearmasher:20200215153345j:plain

 電車が来た。当時乗っていた車両はもっと古かった。ちょっとワクワクしながら乗車する。

f:id:gearmasher:20200215154241j:plain

 小学校1年から5年までの5年間、この電車に乗って毎日通学していた。先頭車両の窓から見るこの風景も当時のまま。琴電は紛れもなくタイムマシンと化した。

f:id:gearmasher:20200215154558j:plain

 10分ちょっとで太田駅に到着。こんなに近かったっけ!?記憶ではもっと長い乗車時間だったような気がする。小学生の時間間隔が違うのだろうか。

f:id:gearmasher:20200215154647j:plain

 ホームは当時のまま殆ど保存されていて驚いた。しばし呆然とする。

f:id:gearmasher:20200215154837j:plain

 駅の入口も記憶のまま。43年と言えばかなりの時間のはずだがここまで何も変わっていないとは。まさかこの風景をもう一度目の当たりにできるとは思っていなかった。

f:id:gearmasher:20200215154901j:plain

 駅前の通りを眺める。並びの建物は随分建て替わっている。踏切の傍に先程訪れたうどん屋さんが見える。

f:id:gearmasher:20200215154926j:plain

 家のあった場所に行ってみる。駅前の路地を西に向かって歩く。道の両側の家々はほぼ全て建て替わっている様だ。道自体は当時の面影を十分に残している。

f:id:gearmasher:20200215155215j:plain

 家までの道程を歩いているがこんなに近かったっけと思う位に距離が短い。小学生の歩幅と今の歩幅では倍以上違うからそう思うのも無理はない。

f:id:gearmasher:20200215155300j:plain

 畑の向こうの川沿いにはイチヂクの木が並んでいた。夏になるとカミキリムシをたくさん捕まえることができた。いまは綺麗さっぱり伐採されてしまっている。

f:id:gearmasher:20200215155412j:plain

 かなり家の近くまで来た。右側の建築中のマンションの場所にはかつて病院があった。割と大きな病院で、用もなく入り込んで遊んでいたが何となく薄暗くて薬臭くて薄気味悪かったのを覚えている。

f:id:gearmasher:20200215155621j:plain

 家の傍に通ずる細い道もまだ残っていた。当時ここは舗装されていなくて右の川もどぶの様に汚かった。今通るととても狭く感じる。

f:id:gearmasher:20200215155755j:plain

 一旦家の傍を通り越して当時主たる遊び場だった川に行ってみる。ここに入って鮒を追いかけたり、夏の朝に早起きしてヤゴからトンボに羽化するのを眺めていたりしていた。川面に降りるのが一苦労で壁面が見上げる様な高さだった様に記憶しているが今見るととても低い。

f:id:gearmasher:20200215155803j:plain

 この暗渠の中に入って100m程先の出口まで行くのが大冒険だった。今のこの背丈だとちょっと入るのは無理だ。もう何もかもがスケールダウンしている。

f:id:gearmasher:20200215160131j:plain

 家のあった場所まで来た。既に家が無くなっていることは20年前に一度来た時に確認済みだったので驚きはない。右側のマンションのるところは当時空き地でその空き地の縁に我が家があった。

f:id:gearmasher:20200215160044j:plain

 マンションの裏の駐車場のこの辺りに家があった。6畳2間と3畳と小さな台所のとても小さな平屋に家族4人で暮らしていた。小学生の時に同級生の誕生日会を誕生日を迎える当人の自宅で祝うというのが習わしだったが、他の人の家に比べて我が家は飛び抜けて小さかったので大勢の同級生を家に入れるのが一苦労でとても恥ずかしく、誕生日会をやるのが嫌だったのを覚えている。そんな我が家ももうない。

f:id:gearmasher:20200215160752j:plain

 近くの当時の行動範囲を歩いてみる。この用水路の周りは一面畑や田んぼだったが今では家が立ち並び風景が一変して当時の見る影もない。

f:id:gearmasher:20200215161753j:plain

 近くの神社を参道から眺める。恐らく塗り直された朱色がかなりビビットで記憶と照合するとかなり違和感。

f:id:gearmasher:20200215161859j:plain

 神社の傍の太田池。池の周りは木々や草むらで囲まれていてもう少し大きいイメージがあったが、一望できる様になってみると小さく見える。ここも当時の主要な遊び場の一つ。ここで釣りをしたりしていた。水不足の季節にはこの池の底が完全に見える位に干上がっていて、湖底に沈んでいたトタン板をめくるとギンヤンマの大きなヤゴを捕まえることができた。水不足の時には家の水道から泥水がちょろちょろしか出てこなくて給水車が来た時に母親と一緒にバケツを幾つも抱えて水を貰いに行った記憶がある。

f:id:gearmasher:20200215164122j:plain

 駅に戻る途中にある我が母校?母園?建物は建て替わっているが、当時も幼稚園にしては随分と大きかった様な記憶がある。私を含む数名の園児が小学校受験のために居残りをして勉強させられていたのを覚えている。

f:id:gearmasher:20200215164729j:plain

 駅前から今度は踏切を渡って東側に行ってみる。踏切正面の左角の建物は昔は肉屋だった。この肉屋の店先にコロッケを自動で揚げる機械がいつも動いていた。小学生の頃はコロッケが大好物で、毎日の小遣い50円を持って学校帰りにこの肉屋でコロッケ自動揚げ機をひとしきり眺め、コロッケを1つ買って家に帰るのが日課だった。ある時、小遣いがちょっと貯まってコロッケを3つ買って家に帰ってそれを一度に食べたらその夜に全部吐いてしまい、それ以来会社に入ってしばらく経つまでコロッケが食べられない身体になってしまった。

f:id:gearmasher:20200215164938j:plain

 駅の近くの文房具屋さんというかおもちゃ屋さんがまだ当時の店構えで営業していた。ここで良くスーパーカーのブロマイドを買っていたっけ。

f:id:gearmasher:20200215165254j:plain

 駅からちょっと離れたところの畑の向こう側辺りにピアノの先生の家があった。当時母親に無理やり行かされていて、そこの生徒は私以外はみんな女子、近所の友達は皆野球とかで遊んでいたのでピアノ教室に行くのが本当に嫌だった。でも今にして思えば、その試練があって今のライフワーク的音楽があるので母親には感謝せねばなるまい。ピアノの先生の家の傍まで行ってみたかったのだが戻りの電車の時間が迫ってきたので諦めて走って駅まで戻る。

f:id:gearmasher:20200215165949j:plain

 駅に戻って再び電車に乗る。この後は小学校への通学経路を辿る。

f:id:gearmasher:20200215170038j:plain

 乗車区間は太田駅から瓦町まで。

f:id:gearmasher:20200215170924j:plain

 7分程で瓦町駅に到着。驚く程に早い。倍以上の時間がかかっていた様なイメージがある。当時の駅は片原町や太田駅と同じ様にオープンスペースなホームだったが今は上に駅ビルができたので当時の面影は全くない。

f:id:gearmasher:20200215171339j:plain

 瓦町の駅ビル。20年前に来た時には既にこうなっていた。小学生当時はせいぜい2階建て位の建物だったのに大きく変わっている。流石にここは時の流れを感じる。

f:id:gearmasher:20200215171649j:plain

 通学路を歩いて小学校に向かう。街中を抜けていくのだが賑やかさは似た様なものか。

f:id:gearmasher:20200215171923j:plain

 中央公園。菊池寛の銅像が立っている。この公園でよく写生大会が行われていたなあ。

f:id:gearmasher:20200215171926j:plain

 横断歩道を渡ってガソリンスタンドとビルの間の細い路地が当時の通学路。

f:id:gearmasher:20200215172010j:plain

 この道を再び通ることになるとは、何とも感慨深い。何度となく往復したこの道は随分と狭く感じる。

f:id:gearmasher:20200215172336j:plain

 路地を抜けて香川県庁前に出た。このレイアウトは当時の記憶のままだ。

f:id:gearmasher:20200215172601j:plain

 県庁の中庭。学校帰りでこの中庭で遊んでいて何度か落ちたことがある。県庁のロビーも遊び場だったなあ。

f:id:gearmasher:20200215172906j:plain

 県庁傍の我が母校。5年生いっぱいで転校したので卒業はしていない。

f:id:gearmasher:20200215172930j:plain

 正門から見る風景は当時のまま。まれにこの風景が夢の中に出てくるのだが、最早イメージの中にしか存在し得なかったこの風景を現実に目の当たりにするというのはかなりの非日常感だ。

f:id:gearmasher:20200215173155j:plain

 小学校をぐるっと一周してみる。受験して入った小学校だったが、色々と厳しくて勉強も凄くやらされたけれど自由研究とか自由工作は楽しかった記憶がある。毎年1本ずつこの校章が刻印されたスプーンが配られたのだが我が家で今でも使っている。

f:id:gearmasher:20200215174453j:plain

 日も暮れてきたので小学校を離れ再び通学路を戻る。細い路地の途中、ちょうどあのマンホールの辺りで御婆ちゃんが座り込んで用を足している場面に出くわし、びっくりして脇を走り抜けようとして曲がり角で足を滑らせて左足の外側全体を思いっ切り擦り剝いてべそをかきながら帰宅した思い出がある。

f:id:gearmasher:20200215174640j:plain

 確かこの建物が当時よく通っていた耳鼻科があった場所だが今は違う店になっている。当時は中耳炎になったり鼻炎になったりして通っていたなあ。そう言えば一度道草途中に何かの木の実を耳の穴に詰めて取れなくなってしまいここに駆け込んで取ってもらった記憶がある。今は大の病院嫌いで一人で病院に行くのが怖いのだが、当時はそんなこともなく平気で通っていた気がする。

f:id:gearmasher:20200215174844j:plain

 かなり暗くなってきたがちょっとだけ中央公園に足を踏み入れてみる。園内は奇麗に整備されており当時の面影は余り残っていなかった。

f:id:gearmasher:20200215175458j:plain

 瓦町駅前まで戻ってきた。駅前にあった友達の家が更地になっていた。学校帰りにここに良く立ち寄って遊んでいたなあ。時の流れを感じる。

f:id:gearmasher:20200215175605j:plain

 今日のもう一つの目的はここで御飯を食べること。当時駅の直ぐ横にあった洋食屋さんが今でも営業していることを知り、今回の遠征でどうしても行きたかった。この屋号も印象的だが当時の店がなかなか不思議な作りでカウンター席しかない飲み屋の様な作りでそのカウンターの中でシェフが料理を作っていたのだが、そんな店があるのかと自分の記憶を怪しんでいた。店は建て替わっているので当時実際にどうだったかは最早知る術はない。

 早速店に入って驚いた。Uの字のカウンターのみの席でカウンターの中でシェフが料理を作っていて、そのコンセプトは当時のままだ。やはり自分の記憶は正しかった様だ。相変わらず繁盛している様で満席、しばし店内で待つ。

 10分程で席が空き着席してカキフライとライスを注文する。

f:id:gearmasher:20200215181955j:plain

 当時親父にここのカキフライをテイクアウトで買いに行かされていた。買って来ただけで食べたことは一度もなかった(当時の私は魚介類が大の苦手だった)。43年経って遂に自らそれを食す機会が訪れようとは夢にも思わなかった。なかなかに美味、遂に大人の味を知ることとなった。

f:id:gearmasher:20200215183720j:plain

 食事を終えて、日も完全にくれたのでホテルに戻ることにする。帰途は商店街を歩いて戻る。瓦町から片原町までは商店街で繋がっているのでそこを辿ってみる。瓦町から片原町までは1kmもないので歩いても大したことはない。

f:id:gearmasher:20200215183919j:plain

 店はかなり入れ替わったり建て替わったりしているが当時の面影は十分に残っている。

f:id:gearmasher:20200215185345j:plain

 片原町まで来るとアーケード自体が奇麗に新築されて当時の面影は無くなっていた。大方予定していた経路を巡り終えたのでホテルに戻る。

 ホテルに戻って来て久し振りにユニットバスに御湯を溜めてのんびり浸かった。みっちり3時間歩いて懐かしの場所を見て回ってとても楽しかった。もう明日走らなくても十分に目的は果たした気がする。っと、そんなわけにはいかないので明日のコースをもう一度予習して、明日の起床時間を5:30としてアラームをセットし22時過ぎに消灯。