日本縦断DNS

 今年のゴールデンウィークも今日が最終日。当初の予定ならば今頃は東北の日本海側を走っているはずだったが自宅にいる。結論から言うとRM429東京2700日本縦断をDNSした。

 4月も半ばを過ぎて、4/28の出発の日にむけて準備を整えつつ気持ちの中に募っていく日本縦断のプレッシャーと闘っていた。出発3日前辺りで微妙な体調の違和感を自覚した。もやっとした倦怠感があって何となく集中力を欠く感じ。当初はこれは心理的プレッシャーの影響だと勝手に思い込んでいたが、ちょっと前から私的にたまに見舞われる早朝覚醒の状態に陥っていてその影響による睡眠不足の影響もあったと思われる。

 出発前日の夜になって倦怠感がちょっと鮮明になってきて、取り敢えず翌朝起きて考えようと早めに就寝した。4/28の朝、やはり早朝覚醒で4時位に目が覚めて寝られなくなり6時位まで悶々と布団の中で過ごし、朝と呼べる時間になって起き上がると前日と同様の微妙な倦怠感に加えて消化器系のむかつきによる食欲不振と微妙に痰が絡む喉のいがらっぽさが加わっていた。立ち上がってみると微妙にふらつく感じだが普通に動くことはできる。取り敢えず体温を測ってみると35.8%とほぼ平熱だし血中酸素飽和度は98%でこちらも問題無し。今までの経験からすればもう後には引けない状況だし後は思考停止して荷物を抱えて家を出ていけば勝手にスケジュールが転がり始めるはずだった。しかし今回はコロナウイルスに感染したのではないかという疑いを抱いてしまい動きが止まってしまった。コロナウイルスは多くの場合は無症状だが、突然発症して重篤化したりあるいは他者へ感染させたりというリスクがあることは重々承知していたので、一旦この考えに支配されるともうどうにもならなかった。私的には公共交通機関は全く使用しないし人混みにも殆ど行かないし感染のリスクは他者より相当低いはずだが、それでも会社の隣人が感染者になっている事実から万が一は否定できない。ブルベのレギュレーションにも体調不良やコロナウイルス感染の疑いを隠して出走してはならないと書いてある。日本縦断という大一番でなんだかんだ言いながら準備は万端整えてあるし気の迷いではないかという程度の身体の違和感で逃げ出すのかという自分への不甲斐なさが溢れて来て、一方で、この2年間コロナ禍の最中でブルベに関して言えば慎重に模範的に対処してきてここに来て自分都合でそこをないがしろにしてしまうことへの罪悪感も膨らんできて頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。それから3時間程の葛藤が続いたが、最終的に”感染の疑いがあると私自身が認識した”以上、それに従って対処するというのが真っ当な判断だということに落ち着いた。

 出発30分前になってDNSを決断。先ずはツイッターに投稿することで公にし事態をFIXした。気持ちの整理はまだ全然ついていなかったがとにかく撤退作業を開始しなければならない。まずはフライトと宿のキャンセルを済ませる。当日キャンセルもあって全費用の半分位しか戻って来ずこれもかなり痛いがそういう問題ではなかった。次に会社の上司に有給休暇取り消しの連絡をしつつ日本縦断断念の報告をする。感染の懸念があると伝えれば恐らく職場内はざわつくだろう。

 そして感染の疑いがある以上、こちらを白黒つけなければならない。直ぐに近場でPCR検査を受診できるかどうかリサーチを開始。在住市のホームページで無料PCR検査を即日で受信できるところを直ぐに見つけることができた。まだできたばかりの施設の様で1時間後には受診できる予約を入れることができた。

 家から3km弱の場所の検査施設に自転車で向かう。乗ってみると普通に乗れたのでがっくりと落ち込む。結局私は逃げ出しただけなのではないか。

 PCR検査場には私以外には受診者はなく即受付。webページでの検査同意書の記入は若干面倒臭いがそれを終えると唾液を入れる容器を渡されてそれに2mlの唾液を入れるだけの簡単作業で15分程であっという間に終了。検査結果は翌日にwebページに届くとのことなので後はそれを待つのみだ。検査を終えて帰宅し荷物を解いて、陽性だった時の自宅軟禁に備えて近くのスーパーに10日分の食料の買い出しに行った。

  翌日の午後、検査結果がweb上に届き結果は陰性だった。

 脱力して、鹿児島に行かなかったことを再びうじうじと後悔した。まずは会社の上司と同僚に安心してもらわなければと連絡する。これで日本縦断DNSのドタバタに一応の決着がつくこととなった。

 

 結果的に取り越し苦労で終わったことになってしまったが、感染の可能性があったことを考えれば前日に正しい判断をしたと思うし、全てがクリアになった後でも身体の違和感の自覚症状が続いたので本調子ではなかったことは確かだ。今回は心身の事前調整に失敗したことを認知しリスク回避のDNS判断ができたことは自分のこれまでの経験が活かされたものと前向きに考えたい。

 こういう時に自分は基本悲観論者で精神的に弱いということを再認識するのだが、今まではそれを抑えてポジティブな行動に変えられるだけの精神的パワーがあったからここまでやって来れた。そのパワーが減りつつあることを自覚してそれに合わせて自分にかける負荷を調整していくべきなのかも知れない。それが老いなのであればそれを素直に受け入れる面も必要だろう。でなければしんどい思いをし続けることになる。一方で、失敗は罪ではないということをきちんと認識しておかなければならないと思う。失敗の後に必要なのは原因分析と対策であって反省ではない。気に病む必要はないということだ。

 ブルベの自責DNSは今回で3回目(悪天候等の日程変更事由やコロナ禍事由によるものは他にいくつもある)。過去2回は2010BRM508宇都宮400(膝痛)と2018BRM1020千葉200(遅刻)。失敗を次に生かすためにも歴史は自分の中にきちんと刻んでおかなければならない。ブルベのつまづきはブルベで立て直すしかないので、このGW中にスケジュールの見直しに着手した。私的には200kmをこまめに走って心身を長距離に順応させて超長距離の大一番に望むスタイルなので早くそれに戻したい。この2年以上のコロナ禍によってそのペースがかなり狂わされて長距離走の感覚が鈍っていることが心身に影響しているのは間違いない。とにかくブルベ勘を取り戻すのが肝要だ。そして大目標を明確に設定することも重要。生涯目標については達成スケジュールを相応に後ろ倒しに見直すものの目標そのものは堅持したままにする。今年の目標はRM812北海道1300に切り替えて心機一転確実な完走を目指して準備を開始する。

 

 私的に3度目の挑戦となる日本縦断の夢は潰えた。当初はこの挑戦がどういう結果になろうとももう日本縦断はこれで終わりだと思っていた。今はどうかと問われれば正直スパッと割り切って答えられないというのが正直な心境。自分自身が不安定でいい加減な人間であることは重々承知しているし、この先歳を取るのは確実にしてもどう転んでいくかは自分でも良く分からない。次に再び挑戦することがあるのかどうか、取り敢えず今この瞬間は曖昧にしておこう。全ては可能性の話だから、持っておいて損はないはずだ。