Mike Stern

 3/14(金)、マイク・スターンを観にブルー・ノート東京に行ってきた。

 3日前、何の気なしにfacebookを眺めていたらブルー・ノート東京の広告が流れて来てマイク・スターン・バンドのライブ告知があったので日にちを見たら今週末ではないか。流れで週末の空席状況を見たら既に最終日の土曜日は売り切れで前日の金曜日は僅かに席が残っていた。金曜日は有休消化予定だったので行こうと思えば行けるか。10000円という値段に一瞬怯んだが今までマイク・スターンを観たことはなかったし彼と私の年齢を考えればこの先観る機会は減るばかりと考えれば一期一会の瞬発力でチケットを予約した。

 17:15に渋谷駅に降り立つ。前に来たのがいつなのか思い出せない位久し振り。

 徒歩で現地に向かう。渋谷駅からブルー・ノート東京は約1.5km。

 都会の中のあちこちの壁の落書きはもう万国共通の風景か。

 17:40に現地着。ここに来るのは多分30年振り位。社会人になって東京に出てきたばかりの頃は浮かれて何度か来ていたが、元々ライブが苦手な性分で完全に足が遠のいていた。

 入口はこんなだったかな?全く思い出せない。

 お目当ては勿論マイクだが、リチャード・ボナとデニス・チェンバースも楽しみ。

 地下のカウンターで予約している旨を告げると席の番号を書いた紙をくれた。それを持って更に階下に降りていく。

 席は”臨時席”と呼ばれる場所。ステージから最遠の通路脇に並べられた椅子の一つが私の席。目の前には客やウェイターがしょっちゅう通過する場所だが取り敢えずステージを正面から見渡すことができる。チケット予約時は左右のサイド席にも空きがあったが正面から見たかったのでテーブル無しの臨時席を敢えて選んだ。

 遠巻きにステージを見ると、マイクのギターアンプはフェンダーの多分Twin Reverbを2台並べている。

 10000円とは別にワンドリンクオーダーなのでビールを注文。1000円という値段はここが特別な場所だということを痛い程思い知らせてくれる。

 定刻18時に照明が落ち、通路からバンドのメンバーが登場。マイクがステージに上がってギターを弾き始めて、コーラスとエコーが深めの”あの音”がそのまま聴こえてきた瞬間鳥肌が立った。ギターはいつものYAMAHAのパシフィカ/マイク・スターンモデル、遠巻きに見てもはっきりとわかる程に指版が汚れて滅茶苦茶弾き込まれているのが良くわかる。過去のアルバムで聴いたことのある曲でタイトルが思い出せないが、ギターとボイスかサックスのユニゾンのうねうねとしたテーマから始まる縦ノリの曲調も攻撃的だが流暢なギターソロも切れの良いカッティングもジャジーなコード弾きもロングスリーブTシャツにブラックデニムも”小便我慢”の脚さばきも何も変わっていない。デニチェンもボナも腹八分目のプレイで堅実な下支えをしているしテナーのボブ・フランセスチーニはほとんど聴いたことがなかったけれど音もフレーズも雑味がなくて好感度高し。奥様のレニは正直年齢的な衰えは否めなかったけれどステージ上で夫婦が楽しそうにプレイしている絆の様な雰囲気に和んだ。

 アンコール的な最後の曲はジミヘンで何とマイクがヴォーカルを取る。こういうクラシックなロックを弾いても感情全開でドカーンと弾き倒す感じではなく、どこかで冷静に最適な音を探してソロを紡ぎ出すという雰囲気がロック畑のギタリストとは一線を画していると感じた。

 あっという間の1時間余りのステージが終了し、余韻を楽しみながら外に出る。冷たい夜の空気が心地良い。

 ライブ後まで取っておいたマイクの新譜の”Echoes and Other Song”の封印を解いて聴きながら渋谷駅に向かう。新しいアルバムも基本的に今までの曲調と変わらないが曲の輪郭がはっきりしたというか掴み易いメロディーになった気がする。マイクは今年で御年72歳、この歳になってもこういうアルバムが出て来るのかとある意味驚く。年齢的な”枯れ”を感じさせないミュージシャンは少ないがマイクはその一人だと思う。微塵も衰えを感じさせないプレイを目の当たりにしてこの分ならまだまだこの人の音楽を楽しむことができそうだと安心した今宵のライブだった。

 夜の渋谷のちょっとした非日常感を味わってまた来ようかなと思いつつ駅に入って人混みに狼狽えそんな思いが一瞬で吹っ飛んで帰宅した。

 

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 ギタリストといえば基本的に私はエフェクターを効かせたソリッドギターの音でジャズ・フュージョン系の曲を弾く人が好みなのだが、マイク・スターンは私的にはベスト・スリーに入るギタリストだ。ちなみに私のトップ・スリーはマイク・スターンと渡辺香津美が同率首位で3位が団子状態という感じ。

 マイク・スターンはここまで全てのアルバムを聴いてきたが、私的にベストと思うのは以下の2枚。

 まずは”Upside Downside”。このアルバムを初めて聴いたのは大学の頃だからもう40年近く前になる。大学に入るまではCasiopeaや高中正義といったジャパニーズ・フュージョンに慣れ親しんできたのだが、これを初めて聴いた時のインパクトは非常に強い。Casiopeaを敢えて分析すればテクニカルでバンドとしての面白味は非常に大きいのだが、深みが足りないというのが率直な感想。それに対してこのアルバムは、フュージョン系の音の中にダークでヘヴィーなシリアスさとセンチメンタルな情緒がぐっと凝縮された音楽の持つ感性の揺さぶりを強く感じる曲が並んでいる。このアルバムはマイクのベストであるばかりか私の音楽史のベストの中の1枚に挙げられる。

 そしてもう一枚は”Standards and Other Songs”。タイトル通りジャズのスタンダートを採り上げたマイクの作品群の中では珍しいアルバムなのだが、ソリッドギターのエフェクト音でジャズスタンダードを”弾き抜けていく”疾走感がたまらなく格好良い。ジャズスタンダードをどういう音に作り替えるかという作業は古今東西のミュージシャン達が千差万別にやり続けているが、マイクのこのアルバムはソリッドギターという楽器の良さをストレートに反映した曲の選定と音の具体化だと思う。

 この2枚のアルバムは私のギターとお手本としてコピーしまくった思い出がある(全然弾けないけれど)。

 コルトレーンの”Moment' Notice”というジャズスタンダードがあるのだがこの曲をマイクと香津美が採り上げているところに私のベストギタリストのマイクと香津美のベスト足る所以を自分自身垣間見ている。

 マイクの方は速度速めで淀みない流れを大事にしてストレートに駆け抜けていく疾走感がとても心地良い。

 対して香津美の方はちょっとテンポは遅めだが香津美らしいアクセントを加えたテーマで始まってでもソロはこの曲の気持ちの良いコード進行に乗っかってソロフレーズを紡いでいく感じはマイクと同じものを感じる。

 この曲の2人のアプローチには心底ギター好きの魂を感じる。そう、2人とも永遠のギターキッズではないだろうか。マイクは愛用のテレキャスを盗られた後はヤマハパシフィカオンリーでエフェクター音も殆ど変わらないが香津美は見かける度に持っているギターが違い出音も変幻自在、マイクの作る曲は良くも悪しくも同じ構成の中の試行錯誤だが、香津美は一歩間違えば節操ない程に守備範囲が広く定まりのポジションがない。例えて言えばマイクは頑固一徹博多ラーメンだが、香津美は豚骨魚介二郎系何でもありのラーメンという感じ。この2人の対比がどちらも面白く興味津々で私自身のギターミュージックのウイングを思い切り広げてくれる大事な存在なのだ。

 余談だが渡辺香津美氏は1年前に脳幹出血で倒れ今も寝たきりの闘病生活が続いている。ただひたすら回復を願うのみだ。

 マイク・スターンはこれからも私のギターヒーローであり続けるのは間違いないが、できればまたジャズスタンダードの作品集を出してくれないかな、と日本の片隅で呟いてみる。