アレアレ!/パリュスあや子

 パリュスあや子さんの”アレアレ!”を読んだ。

 この本の存在は随分前から知ってはいたものの、私的にこういうジャンルの本は全く読まないので何となく先送りにしていたのだが、周囲からちょくちょくこの本の評判が耳に入ってきて、やはりPBPを実際に走った人間としてはその中身を確認せねばなるまいと手に入れた。

 読み始める前に2つの疑問があった。まずは、ブルべが小説になるのか?ということ。そもそもブルべは一般人には面白くない。自転車好き、サイクリング好きでもブルべは距離が長過ぎるし拘束時間が長過ぎるし辛いし退屈だし、そもそも自分でもやってみようと興味を持つ人間は極めて少ない。そんな偏屈な世界が果たして小説になるのだろうか。そして、PBPを実際に走ったことのない人間が書いた文章を実際に走ったことのある私がどう感じるのか、単刀直入に言えば実際の経験を超えるだけの納得が果たして得られるのか?ということ。私的に本というものは自分の知識・経験に無いものを得るために読むのが普通だが、この本に関しては逆な立場になる。曲がりなりにも4度PBPを実際に走った経験のある私がこの本を読み終えてどういう感想を持つのか興味深い。

 私の読書時間は休日の昼、行きつけのラーメン屋の開店待ちに並ぶ小一時間と決めていて、昨日の昼から読み始めた。読み始めると過去に見たPBPの情景が流れる様に頭の中に浮かんできて、まるで一昨年自分が走っていた時の追体験をしている様な錯覚に囚われてしまい、読書ルールを破って自宅に戻って今日の午後までにあっという間に読み終わってしまった。

 まず、面白かった。正直それ程期待していなかったが、作者は実際のPBPを良く取材されていて細かいディテールがかなり正確に描写されていることにちょっと驚いた。同じ情景描写でも私ごときがブログで無味冗長な言葉しか重ねられないのに、さすがはプロの物書きだけあって情緒豊かに臨場感を醸し出してくるのは、実際にその場を見ていた人間からすれば嫉妬すら覚えてしまう。

 ブルべやPBPで一番表現しづらいのは距離の長さ、というより時間の長さだ。日常生活では絶対にありえないとてつもなく長い時間を自転車に乗ったままただひたすらに脚を回し続けるという単調作業を伝えるのはとても難しい。勿論その間に風景を見て人と接して頭の中で色々なことを考えたりするのだが、有意で言葉にできる喜びや感動の時間はとても短く、大半は苦痛を感じるか思考停止するかのどちらかだ。だからブルべを表現するのは難しいと思う。当然のことながら単なるサイクリングイベントとしてのPBPだけでは退屈で小説にならないだろうからヒューマンドラマを複線的に幾つか重ねてくる。しかもそれなりにシリアスな内容のものが多い。ブルべそのものの苦痛の時間を一般人に理解してもらうという意味で登場人物がそれぞれのシリアスな苦悩を走行中に反芻しつつ悶え苦しむというのは比喩として上手いやり方の様な気がする。逆に考えればこの幾つかのシリアスなヒューマンドラマを重ね合わせるに相応しい舞台はPBPしかなかったと合点がいった。PBPが選ばれたのは必然だったのだと思う。

 PBPを走り出してみて自分の平凡な日常を完全にぶち壊すことになり安易な選択をしてしまった自分の浅はかさの責任を自分で取らされる羽目になるが、自分自身の後悔と尻拭いを徐々にポジティブな自信に変化させていくだけの試練の時間がPBPには十分に用意されている。そしてPBPを走り切って、完走できるだけの身体と精神力が自分に備わっていたことを自覚した時、自分が少なくとも自分自身に誇れる人間だったことを悟る。更にその力をこの後の人生でどう活かしていくのかという新たな見地を得ることになる。PBPを走り終わっても世界は変わらない、でも、その世界に立ち向かう自分は間違いなく変わった。2011年の初めてのPBPを走り終えて帰国し成田空港に降り立った時、風景が違って見えたという経験は今でも忘れないし、試練に自分から立ち向かって克服したという自信はあれから時間が経っても失われていない。そんなことを再び鮮明に思い出させてくれた本だった。

 この本はPBP経験者にとっては自分自身の身の上に起こった紛れもない事実を追体験できるとても貴重な機会になると思う。そして、ブルべやPBPを知らない多くの人にブルべが変態の集まりではないということを知ってもらうために是非読んで欲しいと思う。そしてブルべを走っている人間のことを正しく理解してもらえればありがたい。

 この本を読んで私的にもう一度フランスに行ってPBPを走りたくなった。国副進は65歳。私的に今58歳で、2027PBPは61歳で2031PBPは65歳か。65歳のことは見通せないけれど、2027PBPは行こう。行くために準備しよう。

 再び、掴まれた。