心が折れるということ

 今年のゴールデンウィークは4/29~5/4の我がオダックス埼玉清水班主催のGolden Hell Week 1500に参加したのだが、まず結果から書くと最初のBRM429埼玉400と次のBRM501埼玉600を完走した後、残りのBRM503埼玉200BRM504埼玉300をDNSして旅程を切り上げて帰宅してしまった。400km、600kmがとにかくひたすら強い向かい風で途中から雨と低気温が加わって体力・気力が見る見るうちに消耗し身体各所に明確なダメージが積み上がっていき、私的に恐らく史上最悪の400km、600kmのブルべを立て続けに走ることになり、遂に”心が折れて”しまった。そしてこのヘルウィークを途中で止めることにした。個々のブルべの走行レポートについてはこれから追々書いていくが、その前に私的に今回初めて経験することとなった”心が折れた”ことについて今思うことを書き留めておこうと思う。

 

 本編を始める前にちょっとした試みを。このブログは私の心境をできるだけ上手く伝えられればと常に考えながら書いているのだが、この曲を聴きながら読んでもらえるとありがたい。

 この曲は私的にPBPの道の一部の様な田園風景の中をサイクリングしているイメージと同時に私のサイクリング人生を大きく俯瞰しつつ締め括りに向かうイメージが重なった曲の一つだ。こういう話をする時には私の頭の中で必ず聴こえてくる曲。

 

 ”心が折れる”という言葉はブルべ界隈の中でよく聞こえてくる言葉だ。イメージ的には気持ちが切れるとかギブアップとかいうことなのだろうが、ブルべの中ではDNFのトリガーになるメンタリティに至ったことを表している。私的にこれまで320本10万km以上のブルべを走ってきて一度もDNFを決意するまでのメンタリティに至ったことはないので結果として心が折れる経験をしたことはなかったのだろう。だがしかし、今回の600kmの終盤で”もう駄目だ。走れない。DNFしよう”という気持ちになって実際に脚が止まりかけた。今まで一度もDNFしたことのない人間が遂にDNFしてしまうという悔しさはそれ自体がブルべの行動原理ともなり得る程の無念なのだが、それすらももはやどうでもよくなる程に打ちのめされてしまった。

 最初の400kmを走破した段階で既に両膝と右手首を痛めてしまい、次の600kmも序盤からの向かい風でどんどんペースが落ちタイムを失い、仮眠時間も2時間しか取れずひたすら向かい風に逆らって脚を回し続けやっとゴールまで3時間半を残してあと30kmのところまで来たものの、そこから始まった吹きっ晒しのアップダウンのある農道は左斜め前からの爆風が吹き付けバイクが全く進まなくなった。そして細い農道なのに交通量が半端なく後ろから前からひっきりなしに車が通り過ぎていく。路面が荒れていてあちこちにアスファルトの割れがあるので前輪を落とさない様に風で車道に流されない様に痛む右手首を堪えて必死にハンドルを制御しバイクを安定させ続け、痛む両膝で必死にペダルを踏み続ける。

 そのうち雨が降り出し気温がどんどん下がって来た。暗くなってただでさえ路面が見辛いのに雨粒が付いたヘルメットのバイザーに対向車のヘッドライトが乱反射して更に視界不良になる中、とにかく路面と車に全神経を集中し続けなければならない。2020年のBRM919埼玉1000の最終日に走った時のあの穏やかな道が地獄の様相で襲い掛かって来た。余りのイメージのギャップに”こんなはずではなかった。何でこんなことになってしまったのか”とひたすら答えのない自問自答を繰り返すしかなかった。そのうち集中力が切れかけて脚を回すのが億劫になって来た。

”もう無理だ。もう止めよう”

 遂にDNFする時が来てしまったが無念を感じる余裕もなく黙って受け入れるしかない諦念という心境。これが多分私の”心が折れた”瞬間だった。

 しかし、街も何もない広大な田園の中の道では実際に脚を止めることはできなかった。街まで行くことは即ちゴールまで行かざるを得ないということだった。折れた心を抱えたまま再び集中力を否が応でも維持させなければならないというのは最早拷問だった。頭の中で考えていたことは”とにかく今日無事に走り終えることができたら明日からのヘルウィークはDNSしよう。無事じゃなかったら考えても仕方がない”ということだった。それからひたすら車にぶつからないことだけに残りの全集中力を振り向けほぼ思考停止した状態でよろよろと走り続け、気が付いたらゴールしていた。

 時間内ゴールだったがそれは結果で、DNFを覚悟したという事実は消えない。そしてそれから後が決定的だった。

 ゴール地点から八戸駅前のホテルまでの2kmの道のりをよろよろと走り始めた。取り敢えず極度の緊張感から解放されて気持ち的には楽になったが、それ程交通量の多くない幹線道路を走っていてふいに後ろから車が来たことに驚いて避けようとバイクを路肩に寄せようとしたら前輪が何かに引っ掛かってバイクが全くコントロールできずにそのまま落車して左脇腹を何かにぶつけてしまった。痛みに呻きつつすぐに起き上がれず、一体何が起こったのか理解できなかった。やっとの思いで起き上がってバイクを起こしたらそこに歩道と車道を分ける縁石が連なっていることに気が付いた。後ろから来た車にも気付くのが遅かったしこの縁石が全く見えていなかったという事実に愕然とした。集中力が切れるとこんな恐ろしいことが起きるのか。やはりもう駄目だ。今の俺にはこのままブルべを続けられる資格はないのだと改めて認識する以外になかった。

 その後ホテルに辿り着いてホテルに求められるままにバイクを輪行袋にしまい、風呂に入りコンビニ飯を食べて寝た。

 翌朝、目が覚めるとはっきりとした睡眠不足と全身の倦怠感、そして右手首と両膝と左脇腹が酷く痛んでベッドから起き上がるのに難儀した。もしかしたら一晩寝れば情況は変わるかとほんの僅かに期待していたが何も起こらなかった。輪行袋を再び紐解くモチベーションは微塵もなかった。

 八戸駅前のスタート地点に身体を引き摺りながらも出向いて、これから後半の200km、300kmに走り出していく皆を見送った。ここでこれからも先に進んでいく人達の背中を見ながら自分が情けなく悔しい思いを噛み締めることになるのだろうかと覚悟していたがそれはなかった。自分の判断に間違いはなかったというよりその判断を受け入れるしかなかったというのが正しい言い方だろう。完膚なきまでの敗北を受け入れることができてむしろすっきりとした気持ちで始発の新幹線で帰途に就いた。

 

 心が折れるということに関して、実際に経験してみて認識を間違っていたのかもと気付いた。歳を取って体力が確実に落ちてくるのを気力でカバーしながら走るというのがこの先の私のブルべだと思っていた。折れない心で粘り強く走る、即ち折れない心をこれからも鍛え続ける必要があるという思いを持っていた。でも、減退した身体能力を気力でカバーすることはできないし、むしろカバーしてしまうことは身体的限界点を見誤るリスクがあるということだ。経験値も含め気力は過去の自分の身体能力からの減損分を100%補ってくれることは絶対にないということだ。即ち過去の自分ができたことがこの先の自分が間違いなくできなくなるということをまず受け入れることが必要だということだ。そんなことは当たり前じゃないかと他の人から言われそうだが、それを実感としてまだ認識できていなかった。心はむしろ減衰する身体能力に合わせて弱くする必要があるのではないかという認識が必要ではなかろうか。

 これはブルべに限ったことではないが身体能力を超えた負荷はそのまま事故・怪我に繋がる。身体能力を超えた状態に至る前に心が折れるようにしておかなければならないということだ。折れる心は即ち電気回路に過電流を流さないためのヒューズやブレーカーの様なものだ。身体の許容電流に合わせてブレーカーの電流容量も小さくして折れやすくしていかなければならない。

 このことに気付くことができたこのヘルウィークは結果的に有意義なものになったと思う。あのまま一度は折れた心で無理に続行していたら事故に遭っていたかも知れないし走り終えられたとしても自転車やブルべが心底嫌いになって二度と乗らなくなってしまっていたかも知れない。でもそうはならずにまずは身体をしっかり治して次のブルべに備えようという前向きなモチベーションを今持つことができているのは嬉しいことだ。この先もブルべは走り続けるが、いずれ訪れる本当のDNFの瞬間を穏やかに迎えられる気がするし、私の心のブレーカーの電流容量がブルべのレギュレーションをクリアできなくなったらその時はすっと引退する。ブルべは私にとって欠くべからざる人生の一部だけれど全てではない。ブルべがなくなっても自転車には乗るし他に情熱を注ぐものはある。

 ブルべ人生の終わりがまたひとつ見通せた気がするし、終わりがあるからそれまでは楽しく走りたいと改めて思う。

 ブルべを通して本当の人生の終わりを迎える準備をしている様な気が少しした。いいことだ。