6月なのに冷たい雨が降る今朝、いつもの様に出社してぼちぼち仕事を始めていたらスマートフォンの速報が連動するスマートウォッチの画面に表示された。その内容を見た瞬間”えっ!?”と思わず声が出てしまった。
長嶋茂雄さんの訃報だった。
ちょっと前まで何かの折に年老いて車椅子に乗る長嶋茂雄さんの姿が報道される度に、”もうそろそろかも知れない”と何となく心の中で覚悟をしていたつもりだったが遂にその日が来てしまった。
うちの親父は筋金入りのアンチ巨人でうちの晩のテレビはいつもプロ野球中継が流れていた。その影響で私は物心が付いた頃から筋金入りの巨人ファンになった。そんな親父が長嶋茂雄の引退試合後の挨拶を観ながら涙を流していたのを今でも鮮明に覚えている。長嶋が引退したのは私が小学校2年の時なので、選手としての記憶はほとんどなく、監督としての記憶が殆どだ。社会人になってネットの片隅で巨人ファンのニュースグループを主催する程に自他に認める筋金入りの巨人ファンだった私は監督としての長嶋の手腕を批判することがしばしばあった。2005.8.4のあの広島球場での出来事を機に巨人ファンを止めた私はプロ野球そのものへの興味を急速に失い試合を見ることは全くなくなってしまった。それでも小学生の頃から慣れ親しんだ長嶋茂雄という存在は常に意識の中にあって何となくその動静が気になって追っていた気がする。
かなり前の話だが、何かの用事で大阪伊丹空港から大阪市街に移動するのにタクシーに乗ったのだが、そのタクシーの運転手が以前長嶋茂雄を乗せたことがあると熱っぽく語っていた。降り際に長嶋茂雄は着ていたジャケットを脱いでプレゼントに置いていったそうだ。”私は阪神ファンだがあの人は別格。家宝やね”という言葉を思い出した。
親父が亡くなってもうすぐ20年になろうとしているが、もし生きていたら長嶋茂雄さんとほぼ同い年、晩年の顔が結構似ていたから長嶋茂雄さんが親父と結構重なる。再び親父を亡くした様な寂しさを感じる。時間が経つにつれて喪失感がじわじわと広がっている。
長嶋茂雄さんが亡くなられて私の中の一番大きな昭和の火が消えた。いや、私の中だけでなく昭和という時代の中で最も多くの人に知られて慣れ親しまれて愛された人だったのではないかと思う。長嶋茂雄さんは昭和を象徴する最後の人だった気がする。
享年89歳、やきゅうか。改めて合掌。