KINGのトロンボーン

 テナーサックスが修理から戻ってきて、新規楽器の導入は疲れるからもうしばらくいいやとどこかのSNSで呟いたような気がするのだが、舌の根も乾かぬうちに次はトロンボーンの話である。

 ジャズトロンボーンと言えばKINGというのが巷の評判だということは取り敢えず知識としては随分前から知っていたが昔はトロンボーンに関してはサックスにおけるセルマー程の思い入れはなく、高校や大学の身の回りの人間でKINGを実際に所有していた人間はいなかったので当時は漠然とヤマハのカスタムモデルがいいかなあという感じだった。社会人になって間もなくの頃に今持っているGETZENを買ったのも決してGETZENが欲しかったわけではなく、バンドの立ち上げのために急遽楽器が必要になり当時の拘りだった”銀メッキでバランサーの付いていないもの”というもっぱら見た目の理由で楽器屋を何軒も梯子して辿り着いたのがたまたまGETZENだったというだけのことだった。

 この”バランサーの付いていないもの”というのが私の中でトロンボーンに求める造形美において結構な比重を占めている。大学の時にこれは格好良いと思っていたヤマハのカスタムモデルもバランサーは付いていなかったし、逆にバランサーの付いていたKINGは見た目的に不格好だから好きではないという感覚だった。

 それが先日のブラジル系バンドの久し振りのライブの時のこと、本番前の音出しでバンドのボントロが持っているKINGの音を至近距離で聴いた時”えっ、KINGってこんなに良い音がするの?”とちょっと驚いた。このバンドはもう20年位やっていて昔からそのボントロの音は聴いてきたのに今までは殆ど意識することもなく聴き流していたのだが思わず反応してしまった。

 そんなこともあって久し振りにKINGのトロンボーンのことを思い出して、一度はKINGを吹いてみたいかなあなどどぼんやり考えるようになってきた。セルマーのサックスを手に入れる時の様な強い衝動はなく、暇な時にふと思い出してネットオークションで何か出てるかなーとちょっと検索してみる程度だった。3月に入って何となくネットオークションを眺めていたら何とジャンク相当のKINGの2Bが2本同時に出品されていて開始価格が捨て値レベルに設定されていたのでこれは!と思いブックマークしてしまった。KINGの2Bはそこそこ出物はあるけれどネットショップなら大体20万円越えで、オークションやフリーマーケットなら15万円前後が相場といったところで、既にボントロを2本所有して特に不満もない状況ではこの値段で買おうという意欲はさすがにない。取り敢えず冷やかし程度にウォッチしておくかとオークション終了まで眺めることにした。

 2本のうちの1本はゴールドブラスで外観的にはベル周りは割と綺麗で写真で見る限り大きな凹みはなさそうだがスライドにくたびれた感があって動作未確認と書かれているのでスライドの動作に大きな不安がある。もう1本はイエローブラスで外観的には塗装の痛みは少なく綺麗だがベル周りにいくつか凹みがある。年式は前の1本よりは新しく凹みを除けば全体的に状態は良さそうなのでもしどちらかを買うなら凹み修理前提でイエローブラスの方かなというのが見比べた時の感想だ。2本のオークション終了は同日夜でゴールドブラスの方が1時間先に終わる。両方とも既に何件か入札が入っていて私と同じ様にこの2本を同時に目をつけている人間はそこそこいるものと予測してオークション終了に備える。まず1本目の終了時間が迫ってきて小競り合いが始まっているが、私的にはオークション終了5分前に予算+入札最小単位の金額を入れるのが流儀なので予算5万円と決めて51,000円で入札する。まあ腐ってもKINGだがらどうせこの金額は簡単に突破されるだろうと期待せずに1時間後のもう1本の方に意識を移そうとしていたら、一人が競りかかってきたものの5万円を入札したところで動きが止まってしまった。残り時間がどんどん進んでそのまま終了。

 あれれ、落札しちゃったよ。まさかこの値段で終わるとは思っていなかったので一瞬状況が理解できなかったのだが、どうやら間違いなく私が落札したらしい。このオークションに絡んでいた人達はどうやらさっさと見切りをつけて1時間後のもう1本の方にターゲットを移したと考えるのが妥当ではないか。これでもう次のオークションに参加することはなくなったので高みの見物ということに。終了間際で案の定競り合いが始まって、入札状況を見たらやはりさっきのオークションで入札していた人達が参加している。このオークションは白熱して最終的に10万円の手前まで行ってようやく終了した。これは完全に予算オーバーだったのでその手前で落札できて結果的に成功だったということになる。オークションではタイミングでたまにこういうことが起きるから面白い。

 数日後、KINGのトロンボーンが我が家にやって来た。

 まず、ハードケースがバカでかいし物凄く重い。これは2本入るのではないかという大きさ。これはちょっと持ち運べるサイズではない。

 開けてみると無駄に広い空間の中に1本だけ入っていた。

 取り敢えず組み立てて眺めまわしてみる。

 KINGのバランサー。昔はこの丸いバランサーが格好悪いと思っていたが今はそうは思わなくなっていることに気が付いた。そういうこだわりはいつの間にかなくなっていた。チューニング管はよくぶつけるところなので凹みがあってもおかしくないのだが、凹みは見当たらない。抜き差しもスムーズで動作的にも問題なし。

 彫刻部分は塗装が傷みやすい部分だがほぼ無傷。

 ベル外側には大きな傷はなく凹みも見当たらずかなり綺麗。

 ベルの縁にはそれなりに塗装の剥げと錆が見られるが予想していた程の酷さはない。

 全体的にベル部の状態は写真で見たよりかなり程度は良い感じ。

 次にスライドだが、内管も外管も凹みはなく手入れがされていないことを踏まえれば動きに全く問題はなし。やはりスライドの状態が不安材料だったが一安心。

 グリップの部分はそこそこの年月使われたことを示す程に良い感じに剥げている。

 スライドの先端部も良くぶつける場所だが。小さな凹みは幾つかあるがこのレベルであれば修理する程のものではないので私的には放置しても許容範囲。ウォーターキーのコルクが息が漏れる程に劣化しているのが唯一の修理箇所。

 全体的に予想していたより相当程度が良くて動作未確認のジャンク相当とはとても思えない。これならそのままで普通の相場でショップで売られているクオリティだと思う。実際に手に取ってみてこれは大当たりだったのではと喜びが湧いてきた。早速ウォーターキーのコルクをネットショップに注文。到着までちょっと時間がかかりそうだから本格的な試奏はそれまでおあずけ、楽しみに待つことにする。

 

 と、話はここで終わらない。オークションに保存していた検索ワードに新着出品が引っ掛かって惰性で覗いてみたらまたしてもKINGの2Bのジャンクが出品されていた。写真で見る限り今度こそ正真正銘のジャンクで相当に酷い状態。楽器は通常ではありえない程に汚い状態で、野外に置かれた物置に長期間放置された様な朽ちた汚れが全体的にこびりついている感じで部分的には酷い錆が出ている。ちょうど首筋が当たる管の一部にはガード代わりの白いビニールテープが巻かれていて使用時にもいかにも粗雑な扱いを受けていたことが窺い知れる。ケースもボロボロでこの楽器が使用されていた頃のステッカーがべたべたと貼られて酷いことになっている。スライドの状態は写真に写っていないので全く分からない。これを見た瞬間に欲しいというより”直したい。直さねば”という欲求が沸々と湧いてきてしまった。まあいつもの悪い癖なのは承知だが、冷静なもう一人の自分が”まあ値段次第だね”と落としどころを決めてくれてオークションの終了の日を待つこととなった。

 いつもの様に終了5分前に、最大予算5万円として51,000円で入札した。2万円を超えた辺りで動きが止まったので、まあこの写真の状態で冒険する人はそうはいないだろうとこの値段で終わるかと思いきや、終了間際で新たな対抗馬が現れて小出しに競りかかってきてどんどん値段が吊り上がっていった。こっちが設定した値段で自動再入札が繰り返されるのでまだ最高入札者を維持していたが先方はなかなか諦めない。金額が上がるにつれて先方の再入札の間隔が開き始めて、先方も悩んでいるのが見て取れる。そしてついに先方から50000円の入札が入り遂に後がなくなった。ああ、これは高値更新されるなと潔く諦めたがその次が来ることはなくタイムアップ、最終的には予算+入札最小単位という私の戦術が奏功する形で予算上限で競り落とすこととなった。久し振りのネットオークションでの競り合いの妙な緊張感から解放されて満足感と罪悪感の入り混じったちょっと複雑な心境で到着を待つこととなった。

 数日後、物が届いた。期待と不安が入り混じる中、梱包を解いていく。

 ケースはKINGの純正だが今度はキャリングケースの様に小さい。それにしても汚い。ステッカーだけでなくガムテープがべたべたと貼られてこれらを無理に剥がすとかろうじて残っているオリジナルの表装まで剥がれそうなので手が出せない。本体と同時にケースも補修しようかと思っていたがこれを再生させるとなると物凄い労力とコストがかかりそうなので瞬時に諦めた。

 ケースに貼られたステッカーの数々、私的に高校大学の頃に目にしたものが多くちょっと懐かしい。この楽器の前オーナーは私の同世代かちょっと上位で、高校大学の頃にジャズかポップスでこの楽器をガンガンに吹いていたものの社会人になって吹かなくなりそのまま実家の物置に眠らせていたものが最近になって発掘されたという感じだろうか。

 ケースを開けるとむっとするかび臭い匂い。楽器に触ると表面がこびりついた汚れでざらついてとても金管楽器の手触りとは思えない。

 取り敢えず組み立ててみて全体を検分する。

 チューニング管は固着はしておらずちょっと力を入れたら抜けた。変な引っ掛かりはなく歪みはなさそう。これなら掃除してグリスを塗れば問題なく動作しそうだ。汚れはともかく小さな凹みはあるものの修理を要するレベルではないので一安心。

 首が当たる部分の白いビニールテープが余りにも酷かったのでとにかく剥がしたかった。速攻で剥がしてみると、なんと首が当たる部分に金属のプレートが貼り付けられていた。恐らくガード目的だろうが接着剤で貼り付けられている様で簡単には剥がせそうにない。もしかしたら管に穴が空いているのを、持ち主が自分で塞いだのかも知れないが、そうなると管の状態が心配になってくる。見た目も含めてこれはかなりの不安材料だ。

 ベルは取り敢えず大きな凹みは見当たらない。逆にこれだけ雑な扱いをされていて凹みがなかったことに驚く。

 彫刻は荒れてはいないがとにかく表面に汚れがべったりと付いているのでこの楽器がどういう表装なのかよくわからない。写真で見た時はもしかしたらシルバープレートかもと思ったがよく見るとうっすらとゴールドラッカーの色も見えるのでとにかく汚れを落としてみないとわからない。

 ベルもドロドロ。かび臭い匂いがなかなか凄い。

 ベル部はまあ写真で見た通りの酷さだがチューニング管はまともだった半面、管の一部に金属片が貼り付けられていたのはマイナス材料。

 続いてスライド部。写真ではグリップ部だけ真鍮色になっていたので長期使用による塗装の剥げかと思っていたが、ここにも後付けて金属が巻かれていた。これは恐らくグリップ部のラグとそれを繋ぐ管の太さの違いをなくすためにこれも使用者が自分で巻いたものだと思われる。ここは半田付けされている様だが下手に手を出すとスライドそのものの半田を溶かすことになりそうなのでこれも現状維持とするしかない。マウスパイプの口の部分がわずかに歪んでいる。ぶつけたか落としたかという感じだが、これならいつもの鉄球を当てがって叩けば修正できそうだ。それにしてもこのグリップのすり減り方は尋常じゃない。色々と荒っぽく改造され酷使されていたことが伺える。

 スライドはオイル切れの状態で微妙に動きが鈍いものの変な引っ掛かりもなくて取り敢えず使用可能な感じで一安心。しかしよく見てみると外管と内管共にちょうどベルの縁と一致する場所に小さな凹みがあるのを見つけた。見た目には嫌な感じだがこれ自体がスライドを歪ませて動きを阻害していることはなさそうなので当面は放置かな。

 スライド先端はぶつけられた痕跡が多数あってわずかな凹みがいくつもあるが修理する程ではないのでこちらも放置。あと、ウォーターキーのスプリングが折れていてちゃんと閉まらない状態なのでコルクと併せて交換は必至。スライドも汚いのでとにかく掃除してオイルアップしてみないと最終判断は下せない。この状態で試奏は無理なので日を改めてまずはメンテナンスを行うことにする。

 注文していた交換部品が揃ったところでちょうどいい具合に雨の週末、さっそくボントロ2本のメンテナンスを開始する。

 まずは汚い方の丸洗いから。風呂場で中性洗剤を使って管の外と中をごしごしと洗う。

 大雑把に汚れを落としてから水気をしっかり取って今度はポリッシュで磨いていく。塗装の状態が良くわからないのでこの3つを試しつつ磨いていく。

 こびりついた汚れか錆かのくすみが落ち始めるとだんだんイエローブラスの退色したラッカーの表層が姿を現してきた。細かい傷だらけで決して美しいとは言えないが、それでも汚れを落としただけでみすぼらしいただの骨董品から長年の風雪に耐えた風格が滲む楽器へと変わっていって愛着の様なものが俄かに湧いてきた。

 汚れ落としが終わってスライドの内外を綺麗にしてオイルを差してスライドの動きを最終的に確認する。他の楽器に比べると微妙に鈍い気がしなくもないが実使用上問題ないレベルの動きになって一安心。これがジャンクのままで再び放置されることはなくなった。

 次に2本ともウォーターキーのスプリングとコルクを交換する。先に到着したゴールドブラスの方はスプリングは問題なかったがこの機会に買えておくことにする。

 スプリングはKINGの純正品は手に入らなかったのでヤマハのものを流用。コルクは値段の安い恐らく中国製のノーブランドのものを入手。交換は簡単で軸を引き抜いてウォーターキー単体の状態でスプリングとコルクを交換して付け直すだけ。

 10分かからずに2本とも交換作業は終了。部品代は1本あたり300円位。これで2本ともトロンボーンとしての基本機能は回復した。

 次に2本目のイエローブラスの細部の修正。

 まずはマウスパイプの口の歪みをいつもの様に13mmの鉄球を買ってきてあてがい、スライドにダメージの加えない様に慎重にハンマーで叩く。

 あっという間に修正完了。ほぼ真円を取り戻してすっきり。

 次にスライドストッパーリングの余計な半田の除去を行う。実害は全くないが見た目に気になるので取ってしまう。なんでこんなところに半田が付いているのか意味不明。

 リングを外して半田ゴテを当てて取り除くだけの作業。

 あっという間に終了。仕上げはあまり綺麗ではないが気にしない。

 さて完成。

 ゴールドブラスの2Bリバティ。シリアルナンバーから1970年代後半の製造と思われる。

 イエローブラスの2Bリバティ。こちらはシリアルナンバーから1970年代前半の製造と思われる。

 こうやって2本並べてみるとなかなかに壮観な眺めではないか。

 2本とも50年前の楽器だからもう立派なヴィンテージだね。1970年台なんて自分が既に生まれていたから昔というイメージはないのだが、50年前と考えると立派な昔ではないか。自分自身定年目前だから当然といえば当然だがこの感覚のずれはなかなか補正されない。

 KINGの2Bというテナートロンボーンは120年前にリバティという名前で初めて作られて以降、リバティ2B、2B、2102、2Bと会社が買収されたりブランドが売られたりしながらも現在まで作られている超ロングセラーモデル。KINGのテナーはもう一つ3Bという2Bのベルやボアをちょっとだけサイズアップしたロングセラーモデルがあるのだが、2Bか3Bかゆっくり悩む間もなく弾みで2Bになってしまった。まあジャズトロンボーンの定番という2Bをまず試すという意味で結果的に良かったと思う。

 取り敢えず2本とも吹いてみたがミュートを付けて吹く分には音の違いは全く分からない。GETZENのシルバープレートと吹き比べてもよくわからない。図らずも我が家にシルバープレート、ゴールドブラス、イエローブラスの3種類のボントロが揃ったわけだが果たしてその音の違いを体感できるだろうか。息の通りはKINGの方がGETZENよりほんのわずかだが通りがスムーズな様に感じる。ただしこれは出てくる音との兼ね合いなので良し悪しは簡単に決められない。まずはスタジオ練習の時にミュートなしで吹いてみたいところだ。

 それよりなにより楽器を持った時のバランスがKINGはとてもよい。これはひとえにチューニング管に付いたバランサーの効果だと即理解した。GETZENが前下がりであることはわかっていてバランサーがないからだというのも薄々理解していたが、デフォルトでバランサーのないGETZENを使う以上これに慣れないととと思って使い続けて実際に今ではそれ程違和感なく使えている。しかし一度バランサー付きの楽器を持ってしまうとこのバランスの違いは明白で再びGETZENが前下がりであることを意識してしまった。もうバランサーが気に入らないという感覚はなくなったのでGETZENにもバランサーを付けようかと思っている。

 

 RJBに参加してからトロンボーンを再開して、その楽しさを思い出してからあっという間に楽器が3本も増えてしまった。毎日会社から帰って来てすぐにサックスとボントロを15分位ずつ練習する日々が続いているが今は最後に手に入れたイエローブラスのものばかりを吹いている。一番ボロくて再生するのに一番手のかかった楽器を一番長く触っているというのはエレキギターの3本のヤマハSGの顛末と全く同じことになっている。会社に入ってすぐにSG-1000を買い、その次に大本命のSG-1300を手に入れて、そしてボロいSG-1000Nを見つけて修理覚悟で冷やかし入札したら落としてしまい色々と手をかけて再生したら、いつの間にかこればかり弾いていたという展開がまるで同じである。再生にかかった苦労とどうせボロだからという気安さで触る時間が長くなりそれが愛着に変わって更に長くなるということだろうか。

 歳を取って来て人生の終わりが見通せるようになり、終活という言葉が目の前にちらつき始めていずれは楽器も数を減らしていかなければならないということは承知している。それがいつかはわからないけれど10年後20年後に果たしてどのトロンボーンが残っているのか楽しみというか寂しいというか。今のうちに楽器に囲まれた生活を楽しんでおこう。