矢野顕子(初めてコンサートに行ってきた)

 今年のゴールデンウィークも残すところあと2日、あっという間に過ぎていく。4/29~5/3の日程で熊本に遠征しSR600阿蘇山ジオツーリズムを無事に完走し、達成感とプレッシャーからの開放感から来る上々のメンタルコンディションで昨日矢野顕子のコンサートに行ってきた。SR600阿蘇の走行レポートは後程ゆっくりまとめるとして、先に昨日のことを書いておこうと思う。

 

 5/4(土)、前日熊本から戻って来たばかりでまだ疲労がしっかり残っている下半身を抱えつつ15時過ぎに都心に向かって出発。電車に乗って皇居のすぐ傍の大手前を目指す。

 電車の中でついさっきコンビニで受け取ってきたチケットを確認する。席を調べたらステージにかなり近い前方のほぼセンターだった。予約抽選でこれはかなりラッキーだったのではないだろうか。

 私的にはこれが”はじめてのやのあきこ”。初めてというのに特に大きな感情の盛り上がりはない。コンサートの予定を入れたのでそのスケジュールを淡々とこなしに行くだけの感じ。と言うかこれから本物の矢野顕子に会うということが何なのかをちゃんと理解できていない。予習的にヘッドフォンで彼女のCDを聴きながら着実に現地に近づいていく。

 池袋で乗り換えの人混みをかき分け丸の内線の大手前駅で下車して地下道を歩く。この駅に降り立つのは30余年こっちに住んでいて多分初めて。

 現地着。不慣れな都会の街中を迷わずに来ることができて良かった。

 入場の際にワンドリンク買わされた。ホールのコンサートでこれは不必要だと思うがシステムなので仕方なし。開演前に飲み干すがトイレがちょっと心配になる。

 ホールに入って着席の前にステージを見分。お、今日はピアノだけではなくシンセも弾くのか。ピアノはやはりBechstein。

 席は前から3列目で微妙に右寄りのほぼセンター。角度的にピアノを弾く姿を前方向から観ることができるのでこれはベストポジションではないか。開演前のBGMにはYMOの”BGM”が小さな音量で流れている。

 定刻17時になって開演のアナウンスが流れBGMがフェードアウトし無音になった途端に、いきなりテンションが急上昇した。”ちょっと待て、ここに本当に矢野顕子が現れるのか!?”と戸惑っている間にシルバーに光るロングドレスを着た彼女が登場した。ピアノに座っておもむろに弾き始める。イントロは何の曲かよく分からなかったが歌い始めてそれが”風をあつめて”だと分かった瞬間に矢野顕子という存在が実在したことを理解した。”宇宙に行こう”というコンサートが昔々の”青空を駆けたいんです、青空を”という言葉から始まる演出にあっという間に心を掴まれてしまった。ピアノの生音がしっかりと聴こえてダイナミクスがはっきり感じ取れる。彼女の弾くピアノは今まで散々聴いてきた音そのものだった。次第に心が落ち着きを取り戻し違和感なくぐいぐいと引き込まれていく。

 曲は宇宙飛行士の野口聡一氏の詩に彼女が曲をつけたアルバム”君に会いたいんだ、とても”を中心に進んでいく。途中、リズムマシンが数曲使われ打ち込みが1曲とシンセ弾き語りが1曲あった以外は全てピアノで演奏された。シンセの曲ではコンセプトが宇宙だけに一体彼女がどんな音を出すのか物凄く興味があったのだが、宇宙を感じるに充分な音色で期待通りだった。私的にはもう少しシンセの音量を上げて左右に広く振って彼女の歌声を包み込む様なバランスにすればもっと感動は増したと思う。欲を言えばシンセの曲をもう少し聴きたかった。

 音楽に絡んで大スクリーンの映し出される映像を観ていると、質の良い科学ドキュメンタリー映画を観ている気分になる。これこそがこのコンサートのコンセプトではないかと勝手に納得して満足する。

 アンコールの2曲目、野口氏自身の語りによるクルードラゴン打ち上げのシーンに合わせた彼女のピアノ、これはこの場にいなければ聴くことはできなかった。今までにない体験ができたこの1曲を聴けただけでもこの場にいて良かったと思えた。

 アンコールを含め15、6曲のあっという間の1時間40分が終わって彼女がステージ袖に消えていった。

 矢野顕子との邂逅は終わった。圧倒されたとかこみ上げるものがあるとか強い感情はなく、まるで美味い酒を飲んだ時の様な柔らかな満足感を伴ってすっと消えていく様な後味の良さを感じながら席を立つ。

 無性に空が見たくなって建物の外に出て空を見上げた。やはり一度でいいからあそこに行ってみたい。私的に幼い頃からずっと抱いていた宇宙への憧憬は、当時は単なる夢物語だったが時が進んで今では超高額だが商業宇宙飛行が始まりもしかしたら死ぬ前に本当に行けるかも知れないという微かな希望に変わりつつある。夢は持ち続けていようと改めて思った。

 

 中学生になったばかりの頃にYMOの流れで矢野顕子を聴き始めてから45年位経つ。今回の彼女との邂逅は45光年先の遠い存在から放たれた光が今やっと私に辿り着いたという感じか。異星人とのファーストコンタクトに近いものがある気がする。”存在”が”人物”に変化した瞬間を体験することができた。

 君は矢野顕子のファンか?と誰かに問われれば正直よくわからない。確かに何十年も聴き続けていて出されたアルバムは大体全て聴いたけれど常に名前を頭に置いてリアルタイムで挙動を追いかけていたわけではなかったしライブに行ったのも昨日が初めてだし、熱心なファンの人達に比べれば全く大したことはない(まあライブに関して言えば人混み嫌いで周囲の挙動が気になって集中できないし音は大して良くないしミュージシャンのパフォーマンスを観ることにさして興味がなかったこともあって誰かに限らずとも今までほぼ行かなかったということもある)。でも例えば40余年前に聴いた”春先小紅”は今まで不動の春の歌だし、”ごはんができたよ”は私のカラオケの十八番だし(そういえば最後にカラオケに行ったのが一体いつだったか思い出せない)、日常生活の中の折々の場面で彼女の曲を思い出す機会は少なくない。彼女の音楽は例えて言えば白御飯。ラーメンやハンバーグには明確な贔屓があって集中して追いかけたりするのだが、白御飯は主役ではないもののあって当たり前という絶対的な存在感がある。言い換えれば白御飯のない世界はあり得ないのだ。

 今回のコンサートに織り込まれた宇宙への憧憬とは、地球を出ていこうと懸命に頑張る人達や実際に大気圏を出て死の世界に到達して奮闘する人達へのリスペクトと死の世界から振り返った時の生の世界にいる人達への改めての慈しみだった様な気がする。version3から先は、地球から更に離れて、そして天体そのものにスポットが当たっていくのかも知れない。

 以前彼女の帯書きに釣られて買った本。HSTやJWSTが観せてくれる宇宙の姿や宇宙望遠鏡そのものが彼女をインスパイアするのだろうか。彼女のイメージがこの先どこまで広がっていくのか、それが彼女の手でどんな音楽に変換されていくのか楽しみで仕方がない。宇宙への憧憬を音にするというのは彼女の新境地。矢野顕子は私の知る中で歳を重ねてなお衰えを全く見せない稀有なミュージシャンだと思う。その意味でも異星人のイメージに繋がるね。

 私にとっての矢野顕子の存在感が今になって大きく変化した。ミュージシャンとリスナーという一方的に影響を受ける関係から、同じ様に空を見上げて宇宙に対する憧憬を共有する仲間になった感じ。それがとても嬉しい。

 そう言えば先日netflixで観たジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡のドキュメンタリー”アンノウン”はとても面白かった。今までHSTやJWSTの画像を何の気なしに眺めていたけれどそのバックグラウンドの凄さに圧倒された。この番組の中でSingle Point Failure(単一障害点)という言葉を覚えた。これは即ちこの1か所の動作点が正常に動かなければバックアップ機能はなくプロジェクト全体が失敗するという機構のことだ。JWSTはこれが344か所もあって、結果的に一つも故障することなく地球から150万km(月までの距離が38万kmだから相当遠い)離れた場所で正常稼働し続けている。これからは畏敬の念を持って送られてくる画像を観ることになるだろう。こういう知識が得られてとても有意義だった。

 そうそう、宇宙と言えば先日オーバーホールに出していた15cm屈折双眼の鏡筒が戻って来た。残念ながら完全な状態には戻らなかったが改めて私の方で手をかけて実用レベルまで何とか持ち上げてファーストライトの機会を待っている。ファーストライトは月と決めているのだが天候やら何やらでなかなか観測機会が巡ってこない。このネタについてはいずれ改めてブログに書くことにする。

 

 歳を重ねて来て、相変わらず人混みは苦手だがライブ会場で周囲の挙動に気を削がれることも少なくなってきた。矢野さんを始め私が昔から聴いてきたミュージシャンの皆さんもかなり良い歳になって来ていて、その人達を応援したいという意識でこれからはライブに足を運ぼうという気になっている。矢野さんの曲を弾き終えた直後に見せるくしゃっとした福々しい笑顔をまた観に行きたいと思う。