PBPの余韻

 自転車人という雑誌を買った。かの井出マヤさんのPBP完走の寄稿が掲載されていると聞いたからである。

 実際に走る前にもサイクルスポーツ誌に掲載されたマヤさんのPBP記事を熟読して心構えと知識を蓄えた。何と言っても井出マヤさんと言えば日本のブルベをサイクルスポーツの1ジャンルとして一般的に認知されるに至るまで常に先頭を引っ張ってきた日本ブルベ界のリーダーである。
 去年の1月、私の2回目のブルベ参加であるAJ神奈川の200kmで車検・出走サインを井出マヤさんにしてもらい妙に感激したのを憶えている。


 9月に福岡で行われたBRM924Flecheの完走後の親睦会の席上で、井出マヤさんと話しをさせて頂く機会に恵まれた。マヤさんは宴席でもPBPのオフィシャルジャージを誇らしげに来ておられた。話題は勿論PBP、歯切れの良い口調で強い思いがビシビシと伝わってくる話に多少圧倒されつつでも清々しい刺激を受けた。
 私がPBP初参加でいきなり完走したことを告げるとマヤさんは「一発完走したあなたには私の気持ちはわからない」とぴしゃりと仰られた。考えてみれば尤もだ。マヤさんは2003年の初挑戦から3度目にしての初完走、恐らく10年以上も憧れとそして悔しい思いを抱き続けての今年の初完走を果たしての気持ちは、私の想像の及ばないところだろう。今から思い返してみれば、私がPBPの存在を知ったのが2009年9月に初ブルベを走った後あたりだから、実際に走るまでには2年もない。去年のPBP参加へのモチベーションは、PBPを走ることよりもむしろ今回から新しく導入された国別参加人数枠に対応するための選別基準となる、エントリー優先権確保の条件「認定走行距離3200km以上」をクリアすることにあったように思う。実際にエントリーしてから走り終えるまで、敷かれたレールの上を一気に駆け抜けた感があった。実際にPBPを走ってみて勿論私なりの感慨は大きいものだったと思うが、そういう意味では渇望とか熟成は足りなかったのかも知れない。
 その意味では、次回PBP開催年の2015年までには4年もある。PBPへのモチベーションをじっくり熟成させていきたい。

 マヤさんの寄稿文、学者肌らしくデータが散見される。「2007年の参加者の平均年齢が49歳」とか「全行程中に360のアップダウン」とか、数字にしてみて改めて驚かされることがある。あと、意外だったのが三船雅彦さんとの比較話。元プロロードレーサーである三船雅彦さんは今回の日本人参加者中のトップタイムと歴代日本人最速タイムを更新したのだが、御自身と彼の走りの比較は記事冒頭の「幻覚」の話も含めて興味深い。三船さん的なレーシーな走りは現状の日本のブルベのイベントポリシーからすれば否定されてしまうところだが、マヤさんは肯定的に捉えている。PBPはもともとツール・ド・フランスよりも古くロードレースとして始まり、現在もそういうレーシーな走りも許容するという意味で80Hクラスが設定されているとすれば、ブルベは元来そういう要素を多分に含んでいた競技だし、マヤさんもそれは充分に理解されてのことだろう。(勿論今の日本の道路事情や主催運営の立場に立てば、安全走行が何より優先されるので、現状のイベントポリシーは妥当なものだと思う)

 マヤさんを始めいろいろな人の過去や今回のPBP走行レポートをネット上で数多く読んできたが、それぞれに込められた思いやドラマがあり心が動かされる。そして何より自分自身がそこを走ってきたという事実が、他の人達のレポートを、強いリアリティーを持って読むことができる。マヤさんと一緒にゴールしたというどなたかのブログにゴール後マヤさんが涙を流している姿があったと書いてあった。かの快活で颯爽としたマヤさんが涙を流す姿は俄かに想像し難いが、日本ブルベのパイオニアをして3度目の挑戦での初完走の万感の思いが伝わってきた。

 三船さんのブログを読めば幻覚を見る程にぎりぎりまで追い込んでファストブルベを追及してみたいとも思うし、マヤさんの文章を読めば時間いっぱい使ってコースの全てをじっくり堪能するような走りをしたいとも思うし、4年後はどっちで行くかじっくり悩むことにする。