まえだっち

 今日発売の週刊文春の前川前文科省事務次官に関する記事の論評を幾つか読んで、晴れ晴れとした気持ちになった。

 前川氏が加計学園の許認可の意思決定に関わる文科省内部文書に関してそれが本物であるという証言を実名顔出しで行ったが、それと前後して官邸と読売新聞が確定的な証左も示さないままに出会い系バーであたかも買春を行っていたかの様な印象操作的情報の流布を行っていたことに関して、それを真っ向から否定する事実が出てきたからだ。

 そもそも論として、仮に件の内部文書が捏造だったとして、国家権力と世論の大半を敵に回して実名顔出しで嘘を付くなど、そんな破滅的リスクを背負ってまでやることだとは到底思えない。それに出会い系で”何かしていた”のに何もなかったなどと嘘をついたところで、それこそ買春の事実を挙げるべく血眼になって嗅ぎ回っている連中があっという間に証拠を見つけて身の破滅に追い込まれることは、官僚のトップになれる程の人間ならば造作なく思い至るはずだから、まずそんな稚拙なことはしないと思う。まあ御本人にとって見れば身に覚えのないことだから、そんなことを思い悩む必要はなかっただろう。

 でもそれ以上に清々しく思えたのは文春の取材に応じた、前川氏と出会い系バーで実際に相対した女性のコメントだった。前川氏と”大人の付き合いがなかった”ことを証言したことは勿論として、たとえ名を伏せたとしても自らを公衆の面前に晒すことになるリスクを承知で証言に応じた勇気には敬意を表したい。身を持ち崩しかけていた自分に親身になって接してくれた”まえだっち(女性が前川氏に付けた愛称)”がテレビの向こうで窮地に立っているのを見て助けなければと勇気を出して取材に応じたことは、前川氏がリスクを冒して証言したのと同じ姿ではないか。

 正義の伝播。
 善行の連鎖。

 前川氏が目指すところの、これこそが教育ではないだろうか。
 正しいことを正しいと言う勇気、困っている人を助ける勇気。こういう気持ちを多くの子供や若い人達が共有してくれたら、善き正しき事を行った時の清々しい心持ちを経験してもらえたらこの先の日本はきっと変わると思う。

 森友や加計の真相を究明し正すことも勿論重要だが、それ以上に大事なことを垣間見ることができた出来事だった。