1952年の今日、日本は独立国家としての主権を回復したが、沖縄は切り離されて引き続きアメリカの統治下に置かれた。本土復帰を果たしたのはそれから遅れること20年の1972年5月15日。
占領下の一時的な軍隊の駐留ではなく、独立後の日本に長期的に軍隊を駐留させることを前提としたアメリカ優位の「日米地位協定」が結ばれたのは1960年。日米安保条約の代償として結ばれた地位協定の実質的な負担の大部分を一手に引き受けさせられた沖縄の歴史と実情を理解する本土の国民は少ない。
民主党鳩山政権での沖縄基地県外移設問題の顛末は記憶に新しいところだが、これにより多くの国民が少なからず沖縄の苦悩に理解と関心を抱くようになったということはある意味で鳩山政権の功績の一つなのかも知れない。
日米地位協定が如何なるものなのか私も余り理解できていなかったが、ある時「地位協定の考え方」なる外務省機密文書を目にして、概要位は理解できるようになった。これは日米地位協定が実際に運用される段階での解釈について書かれたものである。未だに外務省はこの文章の存在を否定しているが、これが当時の外務省関係者の手によって書かれたものであることも既に特定(名前は失念)されており、この文章が外務省の機密文書であることは公然の秘密となっている。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/kimitsubunsho-l01.html
北朝鮮、中国、韓国、ロシア。領土問題も含め日本の周囲がかなり面倒な状況にあり、国益が脅かされている。主権国家として守るべきものを守らねばならない時、日米安保の名目でアメリカの庇護の下に居続けることを安易に選択し続けるならば、これからも沖縄にアメリカ軍の基地は固定化され相応の負担が強いられ続けることになる。地理的条件を考慮すれば、仮に国民が本土移転を容認したとしても、移転は現実的な選択にはならないだろう。
何よりアメリカがいつまで日米安保を堅持してくれるかも定かではない。アメリカの対中外交も変化してきているし、アメリカの国力も順風満帆ではなく世界の警察としての機能も徐々に失い(減らそうとし)つつある。
結局のところ、日本が真の意味で主権国家として自立し自主防衛を選択する以外に、アメリカ沖縄駐留軍の沖縄からの撤退はあり得ない気がする。(尤も日本の周辺が平和的に安定してくれれば別の話だが、残念ながらそれは余り期待できそうにない)
日本の自主防衛とは即ち軍備増強のみを意味するものではない。平和憲法を維持しつつ、経済立国・技術立国としての強味を背景とした積極外交による防衛策もあるはずだ。核兵器は破滅を前提とした抑止力だが、経済・ノウハウ・テクノロジーは繁栄の為の糧になる。この糧を欲しがる他国は実際多いのだ。
4/24、核拡散防止条約再検討会議が提出した「核兵器の非人道性に関する共同声明」に日本政府は賛同せず署名を拒否した。唯一の被爆国で核兵器廃絶か国是であるはずの日本が核の傘に入れてもらっているアメリカを慮って賛同しないとは、この国の政府も官僚も自立しようなんて考えてもいない様だ。この姿勢では日本が国際的なリーダーシップなど取れるはずもない。
日本が自立を果たすのはまだまだ先の話だ。