2/17(月)、6時過ぎに目が覚めた。今日のフライトは14時だから移動時間を考慮してもホテルにはチェックアウトの10時までいることができるのでまだ寝ていられるのだが二度寝できそうにないので、ベッドの上でPCを眺めながらうだうだと過ごす。
9時を過ぎて何となく荷物をまとめ始めて10時前に部屋を出た。
予定通り10時にホテルをチェックアウト。ホテルのwifiが繋がり難かったことを除けば、部屋もそこそこ良かったしバイク部屋入れOKだったしベッドサイドランプもあったし立地条件も良かったし値段も安かったのでそこそこ良いホテルだったと思う。予定通り自走で空港に向かう。
バイクに跨り緩々と走り始める。天気は良いが昨日と比べてかなり気温が低く肌寒い。風も強くて南下するには向かい風だ。月曜の朝の高松空港周辺は人影も少なく静か。
復路は往路とは別の道で空港に向かうことにする。距離は短いが登り基調で最後は山頂ゴールになる。
片原町の街中を抜けていく。片原町の商店街の人通りはまばら。月曜日の落ち着いた雰囲気がとても心地良い。
瓦町駅前を通過。素通りするのが勿体無いのでもう一度駅の傍を散策してみる。
駅前のメインストリートからちょっと入った裏路地の小さな公園が当時のまま残っていた。この公園の傍に友達の家だった美容室があったのだが今は無くなっていた。
瓦町周辺をちょっと見て回って再び南下開始。
もう一度太田の町に立ち寄る。自宅傍から太田駅までの道を今度は自転車で再びトレース。
駅の傍の路地のこの辺りに当時大きな飼い犬が道にいて、ある日学校帰りにちょっかいを出したら左の太腿に思いっ切り噛みつかれた。その時の傷が今でも残っている。
再び琴電太田駅に到着。この駅舎を見ることができただけでも今回の高松遠征の価値はあったと思う。何度も言うがこの風景を再び見ることができるとは感無量だ。
この線路を眺めているだけでタイムスリップ感がいつまでも続く。しばし途方に暮れる。
最後にあの遊び場の川を見る。このノスタルジーと非日常感の中にあって、イメージ的には松任谷由実の「悲しい程御天気」。あの懐かしく途方に暮れる感じがぴたりと嵌まる。次にまたここを訪れることはあるのだろうか。ちょっと名残惜しいがその場を後にする。
太田から更に南下して仏生山駅近くに差し掛かった。まだ時間はあるのでちょっと立ち寄ってみることにする。
太田駅の隣の仏生山は友達が住んでいて良く遊びに来ていた。駅舎は新しくなっていたがレイアウト的には当時の面影が十分残っている。
駅傍の車庫には当時の電車が停まっていた。そうそう、これに乗って通学していたんだよな。
この車両も覚えている。帰り際に懐かしいものを見ることができて良かった。
駅近くの友達の家に行ってみた。当時ここは耳鼻科の医院だったが今はもうやっていない様だ。表札が同じ苗字だったのを見てちょっと感慨にふける。友達は女子だったが、もしかしたら今もここに住んでいるかもと思ったが流石に呼び鈴を押す勇気はない。ちょっとだけ眺めて静かにこの場を後にする。
再び南下開始、後はノンストップで空港に向かう。向かい風がかなりきつくて全然前に進まないが時間は十分なので無闇に逆らわずにのんびりと走る。
徐々に登り基調になってきた。向かい風に登りに背中には大きな荷物でなかなかのハードサイクリングになった。
ホテルから13km走って往路と同じ国道193号に合流する。空港までは後4km。
国道193号を逸れて空港までの支線に入る。ここから空港までの2.5kmは登りだ。
風が非常に強くバイクが揺さぶられるので大事を取って歩道を走行する。勾配も結構きつく5%超の真っすぐな登り坂が続く。最後の最後でしっかり脚を使わされる。
間際で更に勾配がきつくなり、えっちらおっちら登ってようやく空港の敷地に入って勾配が緩んだ。敷地をぐるっと回って空港ビルに向かう。
11:40に無事に空港着。高松サイクリングが終わってしまった。何となく名残惜しい。
30分程かけてのんびりとバイクパッキングを行う。そのままJALの手荷物カウンターに向かったらまだオープンしていなくて10分程待って無事にバイクケースを預け入れる。高松空港は先にX線検査機を通してからカウンターに持っていく方式。
バイクケースを預けて身軽になって、御腹が空いているので階上のレストラン街に向かう。高松遠征の締めは当然うどん。
肉ぶっかけうどん大盛りを食す。これはこれで美味しいのだが、返す返すも太田のうどん屋さんで食べたかった。あれだけはとても心残りだ。
胃袋も満たされてそのまま搭乗口へ。相変わらず外は強風で乗るべき飛行機はまだ来ていない。先月の熊本遠征の帰りも強風で飛行機が空港に着陸できずに結構となる便も出ていたのでちょっと心配になる。
幸い無事に乗るべき便が到着しどうやら予定通り飛ぶ様でちょっと安心した。
予定より10分遅れで登場、離陸直前になって雪が降ってきた。
14:20に離陸、高松の地を離れる。さらば高松、またいつか。
離陸直後、今日も飛行機は滅茶苦茶揺れる。前回の熊本離陸時も相当だったが今回も酷い。窓から翼がグワングワンと揺れるのを見ていると精神衛生上非常に悪い。
高松市街地を旋回していて、太田池を見つけて感激(中央の野球場の様な形の池)。今回懐かしの場所をしっかりと見て回れて本当に貴重な体験ができた。この感覚を大事に持っておきたい。
あっという間に関東まで飛んできた。九十九里浜がくっきりと見える。こうやって見ると四国は近いな。
15:20に羽田空港に着陸。
お、ちょうど我が輪行袋が搬出されるのをリアルタイムで見られるな。ベルトコンベアにのって横倒しで出てきた。
地上作業員の手でカートに載せ替えられたが残念ながら扱いは余り丁寧とは言えないな。
羽田の到着ロビーの長い廊下を歩いていると、あー戻ってきちゃったなーといつも現実にあっという間に引き戻される。
リムジンバスは15:40だが輪行袋の受け取りを考えるとちょっと間に合いそうにない。
手荷物受け取りの回転台で輪行袋が出てくるのを待つ。
と思ったらいきなり回転台に乗って出てきたのにはちょっと面食らった。今回のJALは駄目だな。しかし、直ぐに受け取れたのでもしかしたらリムジンバスに間に合うかもとダッシュでバス乗り場に向かう。
慌てて自動券売機でチケットを買っていたらバス停の係員がバスの出発を止めてくれてぎりぎり15:40のリムジンバスに乗車できた。感謝!
首都高の渋滞は大したことはなく、すんなり17:10に所沢駅に到着。ここで輪行解除して自宅まで自走する。
バイクを組み立て終わったが、到着した時に既に置いてあったゴルフバックが相変わらずそのまま置きっ放しになっている。恐らくバスから降ろされたまま客が持ち帰るのを忘れたのだろうが、大事な趣味の道具を忘れて帰るなんて幾ら何でも抜け過ぎだろだろう。
バイクに跨りぼちぼち走って17:50に帰宅。これにて初の四国遠征は無事終了した。
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初のAR四国さんのブルベは200kmだったが思っていた以上にしんどいコースだった。まず、山がキツイ。通過チェック3の眉山の登りは距離は短いが結構な激坂でかなり脚を削られた。そして本命の大窪寺への15kmの登りは本格的なヒルクライムルートで後半に勾配がきつくなるというレイアウト、悪天候も手伝ってかなりきつい登りとなった。今回のコースを平坦と言うシコクさんはオカヤマさん直系だと思われる。参加案内メールの語り口がAJ岡山代表のサワダさんっぽかったので嫌な予感はあったのだが見事に的中した格好だ。あと、地味にきつかったのが121km地点から139.5km地点までの国道318号、192号。この区間はずっと交通量の多い市街地で道幅も狭くかなり走り辛かった。いつも走る関東都市圏の道と大差ない感じだったので、地方遠征の有難味が余り感じられなかったというのが正直なところ。
全体的を通してみれば、事前に通常レベルの山岳ブルベという認識で臨めばそれなりに楽しいコースだったし、逆回りにして前半に山岳をこなしてしまうレイアウトにすればもっと走り易くなるかも知れない。私的には高松遠征の動機付けという意味でまた走ってみたいとは思う。
今回の高松遠征、とても楽しかったのだが2週間が経過しても何とも言えない気分がぼんやり残っている。5週間前の玉名遠征も併せての過去遡り企画で得たものは何だったのか俄かに言葉にし辛い感覚なのだが、強いて言うなら間違いなく不可逆的なとても長い時間が経過していることを感覚的に思い知らされたということかな。それは寂しいことではあるのだが、一方でそういう過去の積み重ねで今の自分があるということを再認識したという意味で重要な体験だったと思う。「ちゃんと生きているかい?」と過去の自分から背中をポンと叩かれて、今の自分の生き方を見つめ直して、昔持っていた若さ所以の実直さとかパッションとか、そういうものを再び思い出すきっかけになった様な気がする。その意味で50歳も半ばに近付いたこのタイミングで上手い具合にブルベと紐付けされた過去遡りの旅が立て続けにできたことは本当に有意義だったと思う。
さて、今回の四国200が無事認定されたので、日本全県制覇と日本国内全開催団体制覇が共に王手となった。後は高知県とAJ長崎さんを残すのみ。何とか今年中にクリアしたいところだが、上手くスケジュールに組み入れられるかどうか目下検討中だ。
次回ブルベはオダ埼妻神班のBRM223埼玉200km アタック霞ヶ浦、定番のスーパーフラットなコースだが、次回詳報の予定。