コロナ禍になって1年経って思うこと

 今年は早くも4月に突入。あっという間に桜は散り、季節は春から夏に向かって進んでいく。それにしてもコロナ過は一向に収まらない。ブルベライダーはこれからどんどんペースアップしていかなければならないのに、今年は正月の1月2日に走った切りでもう3か月脚止めを食らっていてこの先もいつ走れる様になるか全く見えない。コロナ禍に関してはとにかく言いたいことは沢山あってそれを全部吐き出したらとてつもない文字数になりそうだから、極力要点だけを押さえて、今言いたいことだけ書くことにする。

 

 先ず、大前提としてこのコロナ禍に対処した安倍・菅政権はとにかく酷い。今のこの状況はこれら政権の完全なる失政の結果、間違いなく人災だ。簡単に言えばこの1年間、民間の余力を無駄に使わせただけで状況は何も変わらなかったということだ。この失政の責任は極めて重大だ。しかし、人間共の思惑などコロナウイルスは一切斟酌しない。厳然たる事実は依然として致死率のそこそこ高いコロナウイルスは市中に広がっていて、止まることなく人から人へと感染を続けているということだ。

 コロナウイルスを抑え込むには国民全員が2週間自宅から出なければ良い。これを達成するためには国民一人一人が目的と手段を理解・共有し行動することが求められる。即ちこれが社会秩序、これがコロナ過での唯一無二の武器なのだ。この状態に如何に近付けるかが我々の思慮と行動に懸かっている。

 コロナ過が始まって1年以上経つが政府は基本的に自助を前提にした自粛要請に終始、このやり方は正直者だけを著しく疲弊させただけで効果はあまり上がらなかった。更に時間が経てば経つ程、正直者が少なくなって自粛効果は薄れ感染拡大が止まらなくなって来ている。そしてここに来て政府は鞭を用いて要請に従わせようとし始めた。今後はそれに対するストレスや反発が増大し顕在化していくだろう。社会秩序は確実に失われている。政府がろくでなしなのは明確だが、政府の施策のあるなしに拘わらず行動の主体は我々一人ひとりであり、極力多くの人間が極力動かないという判断をしない限りウイルスを抑え込めないということだ。「目的は分かったがじゃあ一体どれだけ自粛すればよいのか」ということになるわけだが、期間を決めて具体的な行動指針が緊急事態宣言や段階的緩和措置という形で公共の要請として示されているわけで、これに従うことで社会秩序が初めて武器として機能し感染抑制効果を発揮するということだ。政府に対する憤りは承知しているが、だからと言って少なくとも公共の要請に従わなければウイルスは拡散し続け社会活動は停滞したまま衰退していく。先ずは我々が自ら社会秩序を維持しつつ感染を抑え込み、その後に選挙で無能な政権を打倒することが良識ある国民の社会秩序の維持ではないかと強く思う。

 「このウイルスは大したことない」、「風邪と同じ扱いにしてしまえ」という声があるが、コロナ過が1年続いていてとにかくこのコロナ過を過小評価して五輪をやりたい安倍・菅自民党政権をもってしても指定感染症としての取り扱いを緩和しようという論議は皆無である。国際的認識においても軽い扱いにできるウイルスではないということは疑う余地のない事実だ。

 ツイッターやフェイスブック等のSNSを眺めていると、現状1都3県に発令されている段階的緩和措置等を知ってか知らずかアクティブに動き回る様があちこちで見られる。たまたま私的に自転車繋がりの交友関係を見渡してのことだが、程度の差こそあれ市井は全般的にこういう空気なのだろう。自らは感染者ではないしウイルスは振り撒いてはいないと思うかも知れないが「要請に従わなくても良い」、「要請に従う奴は馬鹿」という空気を確実に振り撒いていることに気付いた方が良いと思う。今この程度の感染で収まっているのは他の多くの人が我慢して自粛しているからだということ、そしてこの先時間が経てば経つ程そういう人達が減っていくということを理解しておいた方が良いと思う。

 生活に困窮した弱者は死活問題として動かざるを得ない。社会の生命線を支える人達は使命として動かざるを得ない。ならばまだ生活に余裕のある人間がその分余興的行動は積極的に抑えるべきではないか。それが相互扶助であり社会秩序を保つ要素の一つになる。

 日本の隅々までワクチンが行き渡るのはまだまだ先だ。経済優先策と感染防止策が両立しないことはこの1年間で十分に学習したはずだ。即ち、最大の経済対策は一刻も早く感染を抑え込んで人々が普通に動ける状態に戻す以外にないということだ。

 

 今、私的に改めて強く思うことは、社会が結束して忍耐を武器にしてウイルスと対峙し抑え込み、そしてこの無能な自民党政権を打倒することだ。それが望み薄なことも承知しているが、日本がまともな国になるのは残念ながらこれしかないのだ。

 今、日本では五輪という衣を無理矢理着せられた国民が前線に押し出されコロナウイルスとのチキンゲームに挑まされている。残念ながらこのまま正面衝突すれば絶対に勝ち目はない。

 

 私は基本的に悲観論者だ。私の見立てが外れて何も起こらずにすんなり厄災が過ぎ去ってくれるならそれはそれで良い。でも悲観論が決してワーストケースではないということはこの1年間が証明している。何度も言うが今は1年前より民間の余力が無くなっている分状況は悪いのだ。一体どれ程の人が1年後にこうなっていることを予測していただろうか。社会的に見れば塵の様な存在の私に何ができるかと言えば、せいぜい公共の要請には極力従いつつこういうことをブログに書いて誰に届くか定かではない警鐘を鳴らすこと位だ。しかしそれが例えほんの僅かでもウイルス撲滅に寄与するということは事実なので、私は実行する。それだけのことだ。