真っ当に生きるということ

 4月も中旬を過ぎ漸く寒の戻りが無くなって来た。昨夜の激しい雨が嘘の様に今朝は快晴。

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 悲しい程御天気。今年の春も残念ながら心躍る季節にはならなかった。

 

 2日程前、ツイッターを何の気なしに眺めていたらうちの会社の名前と一人の男性がギターを弾く姿が写った写真が目に入った。何だろうと思ってその人のツイートを遡っていくとその写真の男性はツイート主の御兄さんらしい。男性の写真が何枚か出て来て、その顔におぼろげながら見覚えがある様な気がしてきた。どんどん遡っていくと、その男性は去年の秋に自ら命を絶ったという事実に行き当たった。唐突に悲しい事実に直面してちょっと衝撃を受けてしまった。弟さんのツイートから彼の断片的なプロフィールを知るうちに彼は同期入社のN君だという確信に変わっていた。

 31年前、うちの会社に入社してそのまま社員寮に入ったのだが彼も同じ社員寮に住んでいた。配属先が違うので仕事上の交流は無くそれ程親しかったわけではなかったが、それでも時たま顔を合わせた時に御互いの共通の趣味である音楽の話をしていた記憶が蘇って来た。随分前に彼は会社を辞めたがその後のコミュニケーションは全く無く彼のことを思い出すこともなかった。

 こんな形で彼の消息を知ることになろうとは思いもよらなかった。薄っすらとした彼の記憶と共に残念で寂しい気持ちが静かに広がっていた。弟さんのツイートから受ける印象は彼の自死の要因はコロナ禍での生活苦による疲弊の様に見受けられた。1年以上続くこのコロナ禍の中で日々苦しんでいる人が沢山いることは理解しているつもりだったが、こういう形で知り合いが実際に命を絶ったという事実に直面してより真実味を持ってその現実が眼前に迫って来た。無為無策であるばかりか税金を掠め取るために噓や隠蔽で塗り固められた権力と利権業者の癒着の政治とそれに迎合する様にモラルが低下し様々な分断が表面化した市井の中で出口の見えない泥沼に陥った日本社会を憂い無力感に囚われる。

 

 彼自身のtwitterやfacebookのアカウントを見つけて読んだ。家族思いの優しい人だったということが伝わって来た。音楽や楽器や星空が随所に出て来て趣味が私とかなり被っていて、もしかしたら彼とは良い友達になれたかも知れない。彼の運命を変えられたとは思えないけれど、せめて少しでも共感すること位はできたかも知れない。

 facebookに彼がピアノを弾く姿が残っている。親しい友達でも何でもない私が突然しゃしゃり出て来て彼を語るのはおこがましいのではと思ったが、でも純粋にミュージシャンの気持ちを考えた時、自分の演奏を多くの人に聴いてもらいたいだろうと思うし、誰かに褒められたり認められると嬉しい。ミュージシャンとはそういう生き物だ、と思い紹介することにした。

https://www.facebook.com/yuhji.nagase/videos/2487034994750661

 彼自作のこの曲はとても優しく物悲しく美しい。彼が遺した思いが伝わって来て胸がキュッと締め付けられる。

 youtubeにも彼の音楽がアップされている。

https://www.youtube.com/channel/UCZqyUVdIbwFP36NaacFNLjw

 

 今痛切に思うことは、こういう社会不安になって地道に真面目に生きている人達が真っ先に苦しみ疲弊していく今の日本の社会は絶対に間違っているということ。正しい人が正しく生きようとすることを邪魔され否定されるのは本当に辛いことだと思う。森友事件で公文書改竄を強要され抵抗し続けて最後に自死に至った赤城さんもそうだったのではないかと思う。こんな世の中は絶対に変えなければならない。姑息に立ち回ることがまるで常識の様になって他を蹴落とし排除することで生きていくのが賢いやり方という風潮がどんどん広がる日本の社会の中にあって、そういう空気に絡め取られない様に生きていかなければならないし、例え微力であっても世の中を変えるためにできることはやらねばと思う。私自身モラルの高い人間だとはとても言えるわけはなく過去に悔い改めなければならないことは数え切れない程ある。でもこの先、できるだけ正しく生きる努力は続けなければならないと思う。

 

 彼の分も、などと到底言えるわけはない。私ができることは彼の人生の一部に触れて共感させてもらったことを私自身の心の糧として私自身の人生を寿命が尽きるまで全うすることだけだ。

 

 Y.N君、享年52歳。今はただ、彼が安らかな眠りにつかれたであろうことを願うのみ。合掌。